大震災によって亡くなられた方々、またその後の過酷な生活の中で亡くなられた方々、あわせれば二万人近くになります。亡くなられた方々の永遠の安息をお祈りいたします。また今でも行方が分からない方や、避難生活を続けられる方も多数おられ、一日も早く、希望が回復するように、心からお祈りいたします。
命の希望を掲げる教会はこの10年間、東北の地に生きる存在として、その役割を果たそうと務めてきました。特に東北の沿岸部に9カ所設けられたボランティアの活動拠点は、その基礎となる地元の教会と共に、地域の方々と一緒に時を過ごす中で、求められている希望は具体的に何であるのかを模索しようとしてきました。そのために日本の教会は、10年間と期間を定めて、全国の教会を上げての復興支援活動を行ってきました。この3月末で、ひとまずこの全国を上げての活動は、一旦終了となります。同時に、教会はそもそも地元に根付いてある存在ですし、教会は普遍教会として一つの体ですから、これからも、東北各地の教会を通じて、教会としての支援の歩みは続けられます。
10年の節目と言うこともあり、当初は仙台に司教団も集まり、ミサを捧げる予定でおりましたが、新型コロナ感染症の影響のため、それぞれの教区で祈りをささげることに変更となりました。東京教区でも、午後2時半から、東京教区ボランティアセンター(CTVC)が中心となって、祈りのひとときを持ち、ミサを捧げました。
なお、日本の司教団からの震災10年目のメッセージは、こちらのリンクからご覧ください。
わたし自身が責任者を拝命しておりました司教団の復興支援室も、3月末で閉鎖となります。大阪教区の神田神父、濱口氏との三名で、さまざまな調整作業にあたってきましたが、これも、特別な儀式的なことは一切なく終わりを迎えることになりました。仙台教区のサポートセンターも同様です。さらには東京教区のCTVCも、同様に3月末で活動を終えます。
活動終了にあたり、まず司教団の復興支援活動に関しては、活動評価作業を実施しており、7月頃にはまとまる予定です。仙台サポートセンターからは、この10年の活動を振り返る130ページもの記録集が発行されました。CTVCも記録を発行しています。この10年間の活動は、教会の宝として残されています。宝を隠してしまうことなく、今後の教会のあり方に、行かしていきたいと思います。
東京教区のCTVCの活動は、今後計画されている社会系活動を統合した教区カリタス組織に受け継がれていきますし、同時に、この10年のかかわりを通じて育まれた東北の方々との歩みは、特にカリタス南相馬とのかかわりなどを通じて、これからも続いていきます。
これまで10年の活動に関わってくださった多くの皆様に、心から感謝申し上げます。教会が本物の希望の光となって、闇の中でも道をしっかりと照らす存在となることができるように、これからも務めたいと思います。
以下、本日、東京カテドラル聖マリア大聖堂で行われた、「「思い続ける3.11」オンライン 東日本大震災 犠牲者・被災者・避難者のために祈るつどい」のミサ説教原稿です。
東日本大震災10年
思い続ける3.11ミサ
東京カテドラル聖マリア大聖堂
2021年3月11日
あの日から10年という時間が経過しました。人生の中で、あの日あの時間にどこで何をしていたのか、明確に記憶している出来事はそう多くはありません。10年前のあの日あのとき、わたしは秋田から新潟へ帰る羽越線の電車の中にいました。山形県の鶴岡駅手前で立ち往生した電車の中で、携帯も通じなくなり、繰り返す余震に揺られながら、まだそのときは東北各地の被害の大きさは、想像も出来ていませんでした。
未曾有の大災害が、東北の太平洋沿岸部を中心に東日本を襲ってから10年です。あらためてこの10年の間に亡くなられた2万人近い方々の永遠の安息をお祈りいたします。消防庁の統計によれば、2020年3月の段階で2,500名を越える方の安否が不明であり、また復興庁によれば同年10 月現在で、4万を超える方が避難生活を続けておられます。心からお見舞い申し上げます。
これまでの経験したこともない規模の災害です。わたしたちの想像を遙かに超える被害に呆然とする中、世界中の方々から支援をしていただきました。震災の翌日から、カリタスジャパンには世界中からの問い合わせと支援の申し出が相次ぎました。結果として国内は言うに及ばず、世界各地から多くの支援がよせられました。この10年間のカトリック教会の復興支援活動を支えてくださったのは、世界中の兄弟姉妹の皆様が、被災地への思いを寄せてくださるあかしとしての支援のおかげです。
また多くの方がボランティアに駆けつけてくださいました。この10年の東北各地の復興に寄り添い歩みをともにするボランティアの活動は、世界に広がる連帯の絆を生み出し、その後、今に至るまで毎年頻発している各地の大規模災害にあって、その支援活動に繋がっています。わたしたちはこの10年の時の流れの中で、互いに支え合うことの大切さを、心で実感し、学びました。
日本のカトリック教会は、災害発生直後の3月16日に、仙台において復興支援のためのセンターを立ち上げました。被災地はそのほとんどが仙台教区の管轄地域と重なっていましたので、仙台教区を中心として、復興支援活動を行ってきました。その後3月の末には司教たちが集まり、全国16の教区が一丸となって力を結集し、10年間にわたり復興支援活動を行うことを決めました。わたしたちはこれを「オールジャパン」などと呼んできました。
沿岸部を中心に被災地にはボランティアベースがいくつか設けられ、この10年の間、教会内外、そして国内外から、ボランティアベースに多くの方が駆けつけ、また中にはリピーターとして何度も足を運び、復興を目指して歩み続ける被災地の方々と、その歩みをともにする活動に参加してくださいました。東京教区でも、CTVCを中心として、そのほかにも多くの信徒の方の団体が結成され、今に至るまでの息の長い支援活動を続けてきました。参加してくださった多くのボランティアの皆様に、心から感謝申し上げます。
いったいこの10年の体験は、教会にとってどういう意味を持っていたのでしょうか。
先ほど朗読されたエレミヤ書には、神が幾たびも幾たびも、さまざまな方法でご自分の民に語りかけられ、しかしながら民が耳を傾けようとしないことが記されていました。
耳を傾けようとせず、自分たちの思いのままに生きようとする民に、それでも神は辛抱強く語りかけられます。回心することなく耳を傾けない民を前にして、神が最終的に決断されたのは、罰することではなく、自ら人となり、直接語りかけ、さらにはその罪の贖いのために、十字架上で自らをいけにえとして献げることでありました。なぜなら神は、慈しみにあふれた神だからです。忍耐にあふれる神だからです。ご自分の賜物として創造し与えられたいのちを、徹底的に愛される神だからです。
災害がどうして起こるのかその理由は誰にも分かりません。しかしわたしたちは、災害そのものではなく、その後に起こったさまざまな体験を通じて、神からの語りかけを学ぶことが出来ます。
わたしはこの10年間の歩みを通じて、とりわけ「人は何のために生きるのか」という問いかけへの神からの答えを体験してきたと感じています。
それは、2019年11月に日本を訪れた教皇フランシスコの言葉からも耳にすることが出来ました。教皇は、東京での被災者との集いで、次のように述べておられます。
「食料、衣服、安全な場所といった必需品がなければ、尊厳ある生活を送ることはできません。生活再建を果たすには最低限必要なものがあり、そのために地域コミュニティの支援と援助を受ける必要があるのです。一人で「復興」できる人はどこにもいません。だれも一人では再出発できません。町の復興を助ける人だけでなく、展望と希望を回復させてくれる友人や兄弟姉妹との出会いが不可欠です」
わたしたちは、互いに助け合うために、支え合っていのちを生かすために、展望と希望を生み出すために、いのちを生きていることを、この10年間の歩みを通じて神はわたしたちに語りかけ続けています。
カトリック教会は、災害の前から地元に根付いて共に生きてきた存在であり、これからも地元と共に歩み続ける存在です。ですからわたしたちの歩みは、どこからかやってきて去って行く一時的な救援活動に留まらず、東北のそれぞれの地で、地域共同体の皆さんと将来にわたって歩みをともにする中で、命の希望の光を生み出すことを目指す活動です。仙台教区は、復興支援の先頭に立つとき、「新しい創造」をモットーとして掲げ、過去に戻る道ではなく、希望を持って前進を続ける道を選びました。ですから教会の復興支援活動は、10年という節目を持って終わってしまうわけではありません。普遍教会は、仙台教区の小教区共同体として存在を続け、わたしたちはその教会共同体を通じて、これからも展望と希望を回復する道を歩み続けます。
教皇は、東北の被災地の方々との集いにおいて、「日本だけでなく世界中の多くの人が、・・・祈りと物資や財政援助で、被災者を支えてくれました。そのような行動は、時間がたてばなくなったり、最初の衝撃が薄れれば衰えていったりするものであってはなりません。むしろ、長く継続させなければなりません」とも指摘されています。
旧約の時代にそうであったように、神は辛抱強く語りかけられます。語り続けます。わたしたちが耳を傾ける時を忍耐強く待っておられます。
わたしたちは、互いに助け合い、支え合っていのちを生かし、展望と希望を生み出す世界を生み出しているでしょうか。誰ひとり排除することなく、すべてのいのちが守られ、人間の尊厳が尊重され、闇に取り残されることのない社会を実現しているでしょうか。教会はその中にあって、暗闇に輝く光となっているでしょうか。
この10 年の歩みを振り返りながら、あらためてわたしたち自身の生きる姿勢を見直してみましょう。そしてあらためて、東北の被災地の上に、神様の豊かな祝福と守りがあるように、祈り続けましょう。