大司教
教皇様イラク訪問
2021年03月05日
教皇様は本日3月5日から8日まで、イラクを訪問されます。日本時間の本日午後3時半頃(ローマの朝7時半)に出発される予定です。旅路の安全と、そして教皇様の意向に沿って、イラクの方々のために祈りをささげたいと思います。
英語ですが、教皇様のイラク訪問の予定はこちらに記されています。(バチカンホームページ)なお、教皇様の海外訪問は、2019年11月にタイと日本を訪問されて以降、新型コロナ感染症のためすべてキャンセルされていましたので、今回が再開第一回目となります。
教皇様は3月3日の一般謁見で、今回のイラク訪問に関して次のように語ったと、バチカンニュースで報じられています。
この訪問について、教皇は、「多くの苦しみを受けたイラクの人々、アブラハムの地における殉教者としての教会と出会いたい、との思いを長い間抱いていた」と述べられた。
また、教皇は、他の宗教指導者たちと一緒に、神を信ずる者たちの間に、兄弟愛の新たな一歩をしるしたいと抱負を語られた。
教皇は、この司牧訪問をより良い形で行い、実りをもたらすことができるよう、祈りをもって訪問を共にしてほしい、と信者らに願われた。
また訪問前のビデオメッセージでは、イラクの方々に次のように語りかけています。
何年もの戦争とテロリズムの後、赦しと和解を主に祈り求めるため、心のなぐさめと傷のいやしを神に願うために、わたしは悔悛の巡礼者としてまいります。平和の巡礼者として訪れ、「あなたがたは皆兄弟です」(参照マタイ23,8)と繰り返すために。
そうです、平和の巡礼者として、兄弟愛の追求のもとに、皆さんのもとを訪れたいと思います。イスラム教徒、ユダヤ教徒、キリスト教徒を、ただ一つの家族として一致させる、父祖アブラハムのしるしのうちに、共に祈り、歩みたいという望みに動かされてまいります。
教皇様のために、お祈りください。
また本日3月5日は、「性虐待被害者のための祈りと償いの日」であります。聖職者による性虐待の罪にゆるしを願い、被害を受けられた方々の心のいやしのために祈り、同じ過ちを繰り返さない決意を新たにするために、教皇フランシスコは、全世界の司教団に向けて、「性虐待被害者のための祈りと償いの日」を設けるように通達されました。日本の教会では「四旬節・第二金曜日」と定めました。東京教区では、次の日曜日、四旬節第三主日のミサで、この意向のもとにミサを捧げることにしております(教区ホームページ参照ください)。東京カテドラル聖マリア大聖堂では関口教会のミサとして、3月7日午前10時のミサを、わたしが司式してこの意向を持って共にお祈りいたします。
教皇ヨハネ・パウロ二世は、人間のいのちを人間自身が自由意思の赴くままに勝手にコントロールできるのだという現代社会の思い上がりを戒めながら、そういった現実を「死の文化」とよばれました。そして教会こそは、蔓延する死の文化に対抗して、すべてのいのちを守るため、「いのちの文化」を実現しなければならない。そう強調された教皇は、回勅「いのちの福音」の冒頭に、こう記されています。
「いのちの福音は、イエスのメッセ-ジの中核に位置します。教会は、いのちの福音を日ごと心を込めて受け止め、あらゆる時代、あらゆる文化の人々への『良い知らせ』として、あくまでも忠実にのべ伝えなければなりません」
危機にさらされるいのちの現状、教皇ヨハネ・パウロ二世が指摘する「死の文化」が支配する現実の中で、教会こそは、「いのちの福音」を高く掲げる務めがあることを自覚しなければなりません。
その教会にあって聖職者には、神の賜物である尊厳あるいのちを守るために最善を尽くす義務があり、「いのちの福音」をその言葉と行いを持って証しする義務があります。
残念ながら、その模範たるべき聖職者が、とりわけ性虐待という他者の人格を辱め人間の尊厳を蹂躙する行為におよび、いのちの尊厳をおとしめ、いのちの危機を生じさせる事例が、世界各地で過去にさかのぼって多数報告されています。また司教を始めとした教区の責任者や、修道会の責任者が、聖職者の加害行為を隠蔽したり、その被害を過小評価した事例も、多数指摘されています。日本の教会も例外ではありません。被害を受けられた多くの方々に、心からお詫び申し上げると共に、教会はいのちの光を生み出す存在となる務めがあることをあらためて心に刻みます。(なお東京教区の対応については、こちらをご覧ください)