菊地大司教

    週刊大司教第十回:主の洗礼の主日

    主の洗礼の主日をもって、降誕祭は終了となります。1月11日の月曜からは、年間第一週の典礼となり、灰の水曜日まで続きます。

    1月8日に緊急事態宣言が政府から再度発出されました。東京大司教区としての対応は、政府の発表(総理会見)の直後に公示した通りで、その公示文書と現在の対応については、それぞれ東京大司教区のホームページに掲載してありますので、ご一読ください。なおホームページには、その時点での感染症対策についてのまとめを見ていただけるよう、上部にバナーを設けていますので、それをクリックしてご確認ください。

    ぎりぎりまで政府の宣言に基づく要請内容と自治体の要請内容が把握できなかったため、いくつかのパターンを想定して対応を準備していましたが、最終的に総理の会見を受けて、文書を再度見直し公示としました。

    なお11月に司教団としてのガイドラインを定めていますが、同ガイドラインとは異なる判断をいたしました。ガイドラインには、「これをもとに、教区・地区・小教区の地域性や状況を考慮し、適応させてください。その際、感染症によって医学的な対応が異なることもありえますので、専門家や医療関係者の意見を聞くことをお勧めします」と記されているとおり、そのときの状況や地域の事情に応じてそれぞれの教区が判断することになっています。今回は、政府や自治体からの要請が、夜の飲食店に重点が置かれ、集会などに関しては中止などが含まれず、人数制限と感染症対策の強化となっていましたので、現時点での教会の感染症対策をあらためて強化確認することで、ミサを続ける可能性を残しました。ただし、公示文書にも記しましたが、現時点ではカトリック教会でクラスターが発生したり、教会活動を起源として感染が拡大したという報告は届いていませんが、信徒の方が普段の生活の中で感染されたり、また亡くなられた方がいるという報告をいただいています。少しでも不安がある場合は、無理をなさいませんように。なお主日のミサに参加する信徒の義務については、引き続き、東京大司教区のすべての方を対象に免除しています。

    以下、第十回目となる「週刊大司教」のメッセージ原稿です。
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    主の洗礼の主日
    週刊大司教第10回
    2021年1月10日前晩

    ヨルダン川における洗礼者ヨハネによるイエスの洗礼の出来事は、「あなたは私の愛する子、私の心に適う者」と言う神ご自身の言葉によって、イエスこそが聖霊の充満であり、神の御旨の実現であることを高らかに宣言しています。

    使徒ヨハネは手紙の中で、「神を愛するとは、神の掟を守ることです」と記しています。すなわち、イエスがキリストであると信じるわたしたちは、神を愛する者であり、神を愛するわたしたちは、神の掟を守ります。神の掟を守ることは、すなわち、神が望んでいるように生きることであり、それはわたし個人に留まるのではなく、この世界に神の望みが実現すること、福音の教えが実現していること、つまり神の国が到来することに他なりません。

    わたしたちは、個人的に信仰を深めて、自らの内へと籠もってしまうのではなく、神の国が実現するようにと、外に向かって「出向いていく」教会になろうとしています。

    教皇フランシスコは、「福音の喜び」に、次のように記しています。
    「福音の提言は神との個人的な関係だけで成り立つものではないということも、聖書を読めば明かです。また、わたしたちの愛の応答を、助けを必要としている人のためのささやかな個人的行為の単なる積み重ねだと理解すべきでもありません。・・・福音の提言とは、神の国、すなわち、世を治める神を愛することを示すことです。神の支配がわたしたちのもとに及んでいる限り、社会生活はすべての人にとって、兄弟愛、正義、平和、尊厳の場となるでしょう」(福音の喜び180)

    教皇は、信仰が神の支配の実現へと向かっていなければ、その信仰に基づく良い行いも、「良心の平穏を守るだけの一連の行為、いわゆる「お好みの善行」になっている可能性があります」とまで指摘されています。

    わたしたちが実現したいのは、わたしたちの人間としての思いや願いではなく、神の思い、神の計画、神の支配であります。

    神の計画の実現ということを考えるとき、教皇フランシスコがこの一年を、「聖ヨセフの特別年」と定められたことは興味深いことです。

    教皇は、使徒的書簡「パトリス・コルデ」を発表され、2020年12月8日からの一年を特別年とされましたが、その書簡において、「イエスの養父、聖ヨセフの優しさ、従順、受容の心、創造性をもった勇気、労働者としての姿、目立たない生き方に触れ」、ヨセフこそは救い主に「奉仕する愛において完全に自己を捧げた」生き方を通じて、贖いの偉大な計画のための協力者となった指摘しています。(バチカンユース)

    内にこもらず出向いていく教会となろうと呼びかけるとき、なにか偉大なことを成し遂げなくてはならないと意気込んでしまったり、または自分にはそんな才覚はないとあきらめてしまったりすることもあるでしょう。そんなときに、教皇は、聖ヨセフの生き方に目を向けるように呼びかけます。偉大なことではなく、神の支配の実現のために、「優しさ、従順、受容の心、創造性を持った勇気」をもって、神の望まれる社会の実現のために、言葉と行いを通じて、神の思いを具体的に示してまいりましょう。今この状況の下にあって、どういった言葉と行いが、神の思いに適っているのかを、祈りの内に識別いたしましょう。わたしたちも、ヨルダン川での洗礼の日のように、「わたしの愛する子、わたしの心に適う者」と神から呼ばれるように。

    東京大司教タルチシオ菊地功