菊地大司教

    神の母聖マリア@東京カテドラル

    謹賀新年

    いつもとは様相が異なる年末年始となりました。新しい年の初めにあたり、皆様の上にいのちの与え主である御父の豊かな祝福があるように、お祈りいたします。

    昨年末の12月18日には東京教区の名誉大司教である岡田武夫大司教様が帰天され、さらに12月28日には大分教区の浜口末男司教様が帰天されました。司教様方の永遠の安息のためにお祈りください。

    また感染症対策のため大晦日の公共交通機関終夜運転が取りやめになったこともあり、恒例の1月1日深夜ミサは、多くの教会で中止となりました。関口のカテドラルでも、例年は1月1日深夜零時から大司教司式のミサを捧げ、一年の始まりに祈りをささげましたが、今年は1日の午前10時からのみのミサとなりました。これから始まる一年が、どのように展開していくのか予想もつきませんが、少しでも明るい方向へ導かれるように、心から祈っています。2021年のうえに、いつくしみ深い神の祝福と、導きと、守りがありますように。

    以下、本日午前10時からの、神の母聖マリアの祝日ミサの説教原稿です。
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    神の母聖マリア
    東京カテドラル聖マリア大聖堂
    2021年1月1日午前10時

    お集まりの皆さん、新年、明けましておめでとうございます。

    主イエスの降誕の出来事を喜びのうちに記念するわたしたちは、それから一週間がたったこの日、1月1日に、神の母である聖マリアを記念します。

    闇にさまよう人間を救いの道へと連れ戻そうとされた神の計画は、聖母マリアの「お言葉通りにこの身になりますように」という、神の前でのへりくだりの言葉がなければ実現しませんでした。そしてその言葉こそは、人生をかけた決断であり、神の意志への完全な信頼の表明でもありました。

    神に完全に従うことを決意した聖母マリアの人生は、救い主であるイエスとともに歩んだ人生です。その人生は、シメオンによって預言されたように、「剣で心を刺し貫かれ」た苦しみ、すなわちイエスの十字架での受難に至る、イエスとともに苦しみを耐え忍ぶ人生でもありました。しかしながら、聖母の人生とは、苦しみにだけ彩られた悲しい人生ではありません。

    聖母マリアは、天使ガブリエルが、「その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない」と告げた言葉を信じることで、その子イエスが人々の希望の光となることを確信していました。ですから、天使のお告げの通りの出来事を目の当たりにして興奮する羊飼いたちの道を急ぐ姿と対照的に、聖母マリアはこれからの救いの出来事の実現という時の流れの先を見据えながら、「すべてを心に納めて、思い巡らしていた」と福音に記されているのです。聖母は「時のしるし」を識別し読み解こうと務める教会の、あるべき姿の模範であります。

    2020年という年は、世界中で、希望を見失い、暗闇に彷徨う年でありました。世界で多くのいのちが感染症のために失われ、また感染症対策のために経済状況が悪化したり雇用環境が悪化したりする中で職を失う人も増え、孤立と孤独は深まり、その中でいのちの危機へと追い詰められる人も増えている事例の報道を多々耳にいたします。また多くの国では、その国の経済を支えるために招かれた他国からの方々が、雇用状況の悪化の中で職を失い、加えて感染症対策のため母国に帰ることもできずに、生活の危機に直面している事例も耳にします。教会の中にも、そのようにして危機に直面している方々と、それに手を差し伸べる活動に取り組まれている方もおられます。

    教皇ヨハネ23世は、回勅「地上の平和」を、次のような言葉で始めています。
    「すべての時代にわたり人々が絶え間なく切望してきた地上の平和は、神の定めた秩序が全面的に尊重されなければ、達成されることも保障されることもありません」

    つまり、神の定めた秩序が実現している世界こそが、平和の実現した世界であると説いています。私たちキリスト者は、福音に忠実に生きようとする限りにおいて、「平和」の実現から目を背けて生きていくことは出来ません。なぜなら「平和」の実現とは、単に戦争がないとか武力紛争がないとか治安が良いとかの問題に留まるのではなく、まさしく神の定めた秩序が実現しているのかどうか、つまり神の望まれる世界が実現しているのかどうかの問題だからです。

    そして、少なくとも今の私たちが生きる世界をみて、神は満足されていないのであれば、そこには「平和」はありません。神が賜物としてわたしたちに与えられたいのち、神が自ら人として受肉することによって高らかに宣言された人間の尊厳。そのいのちが、人間の尊厳が、ないがしろにされている社会に、神の望まれる秩序は成立せず、従って「平和」もあり得ません。

    「お言葉通りにこの身になりますように」と言う聖母の言葉は、まさしく神が定められた秩序が、自らの人生をとおして実現してほしいという願いの表明であり、すなわち聖母の人生は、神の秩序の確立のための人生であり、平和を生み出そうとする人生でありました。聖母は、平和の実現のために働く教会の、あるべき姿の模範であります。

    自らの胎に神を人間として生命を宿らせた聖母マリアを、神は教会の母として与えられます。それによって、神はわたしたちに、生命の尊厳を守りぬく責務の重要性を自覚させようとします。聖母は、いのちを守ろうとする教会の、あるべき姿の模範であります。

    教会は年の初めのこの日を、「世界平和の日」と定め、この世界に神が望まれる秩序が確立され、平和が実現するようにと祈り求めます。

    54回目となる今年、教皇フランシスコはそのテーマを、「平和への道のりとしてのケアの文化」と定められました。
    メッセージの中で教皇は、昨年一年の新型コロナ感染症によるいのちの危機への取り組みを振り返り、すべての人の尊厳と善を守り育てる、互いに思いやりいたわる文化、つまりケアの文化を確立することこそが、平和構築にとって最優先の課題であると指摘しています。

    教皇様は、このパンデミックによって、家族や愛する人を亡くした人、さらには仕事を失った人たち、医師、看護師、薬剤師、研究者、ボランティア、チャプレン、病院や保健機関の職員など、いのちを守るために最前線で働き、時には命さえ犠牲にしている人たちへ、特別な感謝の思いを表明されています。そういった思いやりと助け合いの現実が見られるにもかかわらず、「さまざまなかたちのナショナリズム、人種差別、外国人嫌悪、さらには死と破壊をもたらす戦争や紛争が、新たに勢いを増していること」は悲しいことだったと振り返ります。

    教皇様は、霊的・物的ないつくしみの業による助け合いと支え合いは、初代教会からの愛の奉仕の伝統であり、現代社会にあって教会は「ケアの文化」を確立するために、「人間の尊厳と権利の促進」「共通善」「連帯」「被造物の保護」を推進するようにと求めておられます。

    その上で、教皇様は次のように記しておられます。

    「連帯とは、統計上の数字や、酷使され、役立たなくなれば捨てられる道具としてではなく、わたしたち同様、神から等しくいのちの祝宴に招かれている隣人、旅の同伴者として、他の人々を見る助けとなるものです」

    新しい年の初めにあたり、わたしたちはまだ困難な闇の中に取り残されています。徐々に光が見えてきているものの、闇は深く、この一年わたしたちが歩む道には、さまざまな困難が予想されます。困難のなかにあってもなお見いだされる、愛といつくしみの連帯に希望を見いだしましょう。対立や排除のなかにあっても見いだされる、いたわりの心に希望を見いだしましょう。そして見いだした希望を、聖母マリアの模範に倣って心の中で育み、自らの人生での言葉と行いで、あかしし続けてまいりましょう。

    闇に彷徨う民であるわたしたちに、民数記は神からの祝福の言葉を記し、心に勇気と希望を与えてくださいます。

    「主があなたを祝福し、あなたを守られるように。主が御顔を向けてあなたを照らし/あなたに恵みを与えられるように。主が御顔をあなたに向けて/あなたに平安を賜るように。」

    東京大司教タルチシオ菊地功