大司教

ニコラス神父様帰天

2020年05月22日

Nicolas14a

2008年から16年まで、イエズス会の総長を務められた、アドルフォ・ニコラス神父様が、5月20日午後に帰天されたとのことです。イエズス会日本管区によれば、こういった状況ですので、5月23日夕方五時に行われる予定の葬儀ミサには、感染症対策のため参列を控えてほしいとのことですが、ライブ配信も行われるとのことです。ニコラス神父様の永遠の安息のためにお祈りください。

スペインで1936年に誕生されたニコラス師は、神学生時代の1961年に来日、その後日本で1967年に司祭叙階を受けられました。1978年から84年には、マニラにあるEAPI(東アジア司牧研究所)の所長を務めたり、1993年から99年まではイエズス会の日本管区長、東京教区にとっては2000年から04年までCTIC(カトリック東京国際センター)のメンバーとして、現在のCTICの活動の基盤を整えてくださいました。日本の教会にとっても、神学的にも、霊性的にも、活動の上にも大きな貢献をされたイエズス会員であったと思います。

実は、わたしは、ニコラス師とほとんど接点がなく、よく存じ上げないのです。というのも、わたしが司祭養成を受けたのは神言修道会ですから、養成はすべて名古屋で行われ、中学から大学院まで、すべて南山学園なのです。つまり上智で教えられていたイエズス会員には、まったく接点がありません。東京の神学院で学ばれた司祭や、東京を中心に活動してきた方は、ニコラス師の偉大さをよくご存じなのだろうと、今回の帰天にあたって、様々な場で語られる言葉を見て感じます。しかもわたしは、神言会の司祭になってからも86年から95年頃まで日本にはいなかったので(ほとんどガーナの山奥にいたので)、ニコラス師も関わったと聞く、その頃行われたナイスの二回の全国会議も、わたしは全く体験していません。さらに男子の修道会の管区長は、国内には30数名ほどしかいませんが、全国の集まりをしていてそこで知り合うのですが、わたしの神言会の管区長任期は99年から04年で、ちょうどニコラス師がイエズス会管区長を終えるときと入れ替わり。ですからこれまで全く接点がありませんでした。

一度だけ直接お会いしたことがあります。2015年12月。ローマで開催された、教皇庁福音宣教省の第十九回総会の席でした。そのときの様子は、当時の「司教の日記」のこのリンクに掲載されています。かつて黒い教皇とまで言われたイエズス会の総長ですから、集まっていた多くの枢機卿たちも尊敬の念を抱きながら、ニコラス師と意見の交換をしていたことを覚えています。(白い教皇が本物の教皇様、赤い教皇が福音宣教省長官、黒い教皇がイエズス会総長、などとかつては言われたほどに力があるポジションだったようです。色は、着用するスータンの色です。写真は、総会の際に、タグレ枢機卿と話し合うニコラス師)

ニコラス師は総長が終わられてからもマニラなどで活躍されていましたが、病を得て日本に戻り、2018年夏からはロヨラハウスで生活されておられました。一度だけ、ロヨラハウスを訪問してお話をさせていただいたとき、ニコラス師とも少しだけ言葉を交わすことができました。

昨年11月には、教皇様が訪日されたとき、お二人が再開する機会がありました。

わたしたちは教会を導く聖霊の働きを信じています。聖霊がより良く働くためには、その実りを具体化する器が必要です。ニコラス師も聖霊の働きを日本の教会に、そして世界の教会に具体的にもたらす有能な器であったと思います。燃えさかろうとする聖霊の火を吹き消すことなく、さらに燃えたたせるように、ニコラス師の生涯に倣って、聖霊を働かせるための器に徹したいと思います。

ニコラス神父様の永遠の安息を、心からお祈りいたします。