菊地大司教

    復活節第六主日@東京カテドラル

    復活節第六主日です。復活の主日から、あっという間にひと月ほどが経過し、昇天祭(今週の木曜日ですが、日本をはじめいくつかの国では、次の主日に祝います)や聖霊降臨祭が近づいてきました。

    本日の説教でも触れていますが、教会は今日の主日を、「世界広報の日」と定めています。教皇様の世界広報の日のメッセージは、こちらのリンクから、中央協議会ホームページで読むことができます。

    また、明日、5月18日は聖ヨハネ・パウロ二世教皇の生誕100年の日です。これも説教で触れていますが、本来であれば、ポーランド大使との協力の中で、本日日曜の夕方に、わたしの司式でカテドラルにおいて記念ミサを捧げる予定でした。残念ながら、現在の状況で延期となりました。

    以下、本日のミサの説教の原稿です。
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    復活節第六主日(世界広報の日)
    東京カテドラル聖マリア大聖堂
    2020年5月17日

    わたしたちは、イエス・キリストの福音をのべ伝えます。人となられた神のことばである、イエスを告げしらせます。「折が良くても悪くても励みなさい。とがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです」とパウロがテモテへの手紙に記すように、ありとあらゆる困難を乗り越えてでも、わたしたちは福音をのべ伝えます。福音を告げしらせることが、わたしたちに与えられた使命だからに他なりません。

    困難な状況が続く中でも、次のステップに進む可能性がかろうじて見えてきたいま、三ヶ月近くも教会に集まれずにいるわたしたちは、どうしても、教会へと実際に足を運び、一緒になってミサにあずかることに、思いを集中させてしまいます。もちろん集まることは大切なことですし、ご聖体における一致は、教会共同体の根本を形作るものであります。

    しかし同時に、わたしたちは、与えられている大切な使命を思い起こしたい。福音を、社会のただ中で、すべての人へ告げるようにと派遣されている、その使命を思い起こしたい。とりわけ、この困難な状況の中で、暗闇における希望の光を輝かせる務めが、教会にはあるのだと思い起こしたい。そして、その教会とは、誰かのことではなく、わたしたち一人ひとりのことだと、自分のことなのだと、思い起こしたい。

    教会は、今日の主日を、「世界広報の日」と定めています。第二バチカン公会議の「広報メディアに関する教令」に基づき、「広報分野における各自の責務について教えられ、この種の使徒職活動のために祈り、援助のために募金するように(18)」と、1967年に始まりました。

    もちろん当初は、新聞、雑誌、テレビ、ラジオ、映画などの広報媒体を用いて行う専門的な使徒職が対象でしたが、今や時代はインターネットです。SNSの様々な手段を通じてわたしたちは、個人的なコミュニケーションにとどまらず、誰でもいつでも、世界に向けて声を届ける手段を手に入れました。いまや、広報における使徒職は、特別な人や団体だけに限定された使徒職ではなく、すべてのキリスト者が関わることのできる福音宣教のための使徒職ともなりました。

    広報専門職の重要性には変わりがありませんが、同時に、すべてのキリスト者が、福音宣教のための道具を手にしているのです。もう、福音宣教ができない口実を並べることはできません。わたしたちは、道具を手にしているからです。

    「広報メディアに関する教令」には、こう記されています。
    「母である教会は、これらのメディアが正しく活用されるなら、人類に大きく貢献することを熟知している。それらが人々を憩わせ、精神を富ませ、また神の国をのべ伝え、堅固なものとするために大いに貢献するからである(2)」

    しかし同時に、この教令は、次のような警告も記しています。
    「人々が神である創造主の計画に反してメディアを用い、それらを人類への損失に変えうることを、教会は認識している。実に、その誤用によって人間社会に幾たびとなくもたらされた損害を前に、教会は母としての痛みを感じている(2)」

    確かにこの数年、わたしたちは簡便なコミュニケーション手段を手に入れ、どこにいたとしても、十数年前とは比べものにならないほど大量の情報を、あっという間に集めることができるようになりました。さらには、SNSを通じて、簡単に不特定多数に向けての情報発信ができます。

    それと同時に、「フェイク・ニュース」という言葉に代表される裏付けのないデマに、簡単に踊らされる事態に直面する危険も増えています。

    さらには、発信される言葉が時として暴力的になり、人間の尊厳をおとしめるような差別を生み出す原因となったり、いのちを危機にさらすような出来事の引き金を引く可能性すら存在します。この数ヶ月のように、先行きが見通せない中で不安が積み重なっている状況は、疑心暗鬼の中で殺伐とした言葉のやりとりを生み出す可能性を持っています。

    ペトロは今日の第二朗読の中で、「あなた方の抱いている希望について説明を要求する人には、いつでも弁明できるように備えていなさい。それも、穏やかに、敬意を持って、正しい良心で、弁明するようにしなさい」と諭しています。

    イエスご自身から、福音宣教の使命を与えられているわたしたちは、SNSなどを通じた発信が、福音宣教の使徒職を果たすための手段となるという可能性を、意識したいと思います。

    わたしたちは、自分の言葉を、「穏やかに、敬意を持って、正しい良心」のうちに、ネットに向けて発信するように、心したいと思います。

    今年の世界広報の日にあたり教皇フランシスコは、一人ひとりが語る物語の重要性を指摘するメッセージを発表されています。教皇は、メッセージ冒頭でこう述べておられます。

    「道に迷ったままにならないためには、よい物語から真理を吸収する必要があると、わたしは信じているからです。よい物語とは、壊すのではなく築き上げる物語、自分のルーツと、ともに前に進むための力を見いだす助けとなる物語です」

    人はそれぞれの物語を語り、互いに分かち合うことで豊かにされ、成長すると指摘する教皇は、現状を次のように分析しています。

    「幸せになるためには、獲得し、所有し、消費することを続ける必要があると信じ込ませ、説き伏せる物語がどれほど多くあることでしょう。・・・裏づけのない情報を寄せ集め、ありきたりな話や一見説得力のありそうな話を繰り返し、ヘイトスピーチで人を傷つけ、人間の物語をつむぐどころか、人間から尊厳を奪っているのです」

    当然、わたしたちが伝える福音は、物語です。わたしたちは、イエスの物語を受け継ぎ、それを他の人へ物語ろうとしています。福音の物語は、イエスについての教えや知識にとどまらず、それを受け取ったわたしたちが、具体的にそのもの語りを生きるようにとうながします。いのちを大切にし、互いに助け合い、尊重し合い、ともに道を見いだすようにとうながす物語です。

    明日、5月18日は聖ヨハネパウロ二世の生誕100年にあたります。特に、ポーランドの皆さんにお祝いのことばを述べたいと思います。本来は、今夕に、ポーランド大使館の主催で、生誕100年記念のミサを、ここカテドラルでささげる予定でした。

    その聖ヨハネパウロ二世は、2002年の世界広報の日のメッセージで、インターネットを通じた福音宣教の可能性に触れながら、こう記しておられます。

    「大切になるのは、キリスト教共同体が実践的な方法を考案し、インターネットを通して初めて接触してきた人たちが、サイバースペースの仮想世界から現実のキリスト教共同体世界へと移行する助けとなることです」

    わたしたちは、与えられた福音宣教の道具を賢明に用いながら、仮想世界であっても現実世界であっても、福音をのべ伝え、信仰における深いきずなに結ばれた信仰共同体を実現し、育んでいくことができるように、努めたいと思います。

    東京大司教タルチシオ菊地功