教区の歴史

教区の歴史

司祭集会のまとめの言葉

2017年10月25日

2017年10月25日

 

 

みなさん、おはようございます。  
2017年の司祭集会、本日、無事に、終了の運びとなりました。  
司祭集会の準備、運営に携わってくださいました神父様方に、まず、心から御礼申し上げます。  
そして、この集会に参加くださった神父様方、お忙しい中、本当にありがとうございます。ご苦労様でした。  
3日間の集会の中で、特に2日目に話し合われましたことについて、いま、わたくしが思いますことを、簡単にお伝えし、以後のさらなる検討に委ねたいと思います。  

まずは、入門講座担当者養成講座の開始についてです。  
養成委員会が作った原稿を、わたくしが見まして、案内文については、わたくしが、かなり直しました。そして、募集要項について話し合いましたが、なかなか話が難しいと思いました。  
募集要項、カリキュラムの内容については、さらに、丁寧に検討したいと思います。さらに、「拠点教会」という構成について、共通理解が必要ではないかと思います。  
しかしながら、今度の提案は、いままでになかった、画期的な内容を含んでおります。小教区の枠組みを中心にして、その上に教区がありますが、横の連絡を付けながら、小教区を越えて、新しい宣教のありかたを樹立したい。  

これから、司祭、奉献生活者、信徒が、それぞれの役割を果たしながら、みなで宣教しましょう。信徒のかたがたに、もっともっと役割を担っていただきましょう。そのために、わたくしたちの間の共通理解、準備が必要だと思います。  

できるところから、できることを始めたい。そして、とりあえず、決めたことも、いろいろな問題にぶつかるたびに、柔軟に対応し、修正して行きたい。  
教区全体が一斉に始めることはできないと思います。ですから、どちらから始めることができるかなどを、もっと検討したいと思います。  

なお、ご存知だとは思いますが、わたくしは昨日76歳になりまして、75歳が定年ですから、わたくしの任務がいつまで続くかは、分かりません。恐らく、そう長くはないと思います。  

先ほど選ばれた司祭評議員のみなさま、どうぞ、今回の司祭集会の話し合いを、さらに検討していただいて、東京教区のより良いあり方を考え、進めていただきたいと、心から願っております。  
次に、ウェルカムテーブルを考える会からの提言についてです。  
この内容について、違和感があまりなかったのか、おおかたの共感、賛成をいただいていると、わたくしは思いました。  
もし、さらに必要な修正があるならば、直したものを、教区の中で、みなさんに配布したい。しかし、このまますぐに、という訳ではなく、さらによく検討をして行きたいと考えております。  

次に、新福音化委員会についてです。  
「新福音化」という言葉に、違和感を覚えるかたがいらっしゃいます。日本のようなところで、新も旧もありませんが、カトリック国では行き詰まっている。  
ですから、新しい熱意で、新しい決意で、新しい方法で、新しい表現で、何でも新しくやり直そうというように思われたと、わたくしは解釈しております。  

聖フランシスコ・ザビエルが、来日して、宣教して、もう400年、500年になります。  
最初の日にも申し上げましたが、再宣教150年、非常に熱心な、優秀な福音宣教者、宣教会、修道会のかたが日本に送られて、努力していただいております。  
日本の教会は、みながよくやっている。その中で、人数は少ないが、信者になるかたがいる。この事実だけでも、大変なことだと思っております。  
そこで、さらに、いま、日本に住んでいるひとびとのニーズは何であるか。心からの願いというのは、何であるか。それに、われわれは、どのように応えているか。このようなことを、さらに検討する必要があるのではないでしょうか。  

そして、精神的な問題を抱えている人が目立つ、昨今です。  
東京教区の優先課題のひとつは、「心の問題」です。われわれは、精神科医ではないので、精神科の仕事はできませんが。しかし、司祭として、いろいろな精神の問題、あるいは、病気と健康の境目はわからないとは言え、だれでも、行暮れたり、悩んだり、迷ったりすることがあるわけですから、そのようなかたの心を、どのように受け取るかは課題かと思います。  
相手が何も考えていないのに、難しいことを、こちらが一方的に提供しても、それは全く実りの望めないことでして、日々接するひとびとの、求めていることに触れることが第一なのでしょう。そのためには、よく聞くことが大切だと思います。  
「傾聴」ということが、よく言われておりますが、「よく見、よく聞く。そして、わたくしたちの、どのようなところがつまずきなのだろうか。どのようなところが難しいのだろうか」という姿勢が求められていると思います。  
わたくしたちは、イエス・キリストを伝えるわけでして、2千年の間にできた、いろいろな教義は、必要があれば説明するけれども、それは後回しで、イエス・キリストに触れる、分かち合うことが、第一に必要なのではないかと思います。

まもなく、東京教区の新福音化委員会が開かれますので、そちらで、また話し合いたいと思います。それから、司教協議会が行った、この間、報告した、集いの様子も、そちらで分かち合って、さらに、何らかの形で、司祭団に、改めて、連絡するなり、提案するなり、するようにしたいと思っております。  

この3日間参加して、わたくしが、いま思っておりますことをまとめますと、以上の4点、みなさまへの感謝、入門講座担当者養成講座の再検討、どちらかで、いままでのやり方を越えていかなくてはならないので、できることを、できるところからやりたいというのが、わたくしの決心です。  
しかし、いろいろな課題、問題があることも承知しているつもりです。すでに、委員会の中でも話し合い、そして、それは、当然出てくる問題、疑問であるとは思っております。易しいことではないと思っております。  

ウェルカムテーブルを考える会の提言、新福音化委員会の新しい企画、こちらを進めていきたいと願っておりますので、どうぞ、みなさまの、ご理解をお願いするとともに、ご意見は、いろいろな場所で、遠慮なく出していただきたいと、思っております。  

どうぞ、みなさま、これからも、よろしくお願いいたします。参加、ありがとうございました。