教区の歴史

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2016年アクション同志会・死者のためのミサ説教

2016年11月05日

2016年11月5日、東京カテドラル

[聖書朗読箇所]

説教

今日は、すべての亡くなられた方の、永遠の安息を願って、このごミサをお献げいたします。  

人はすべて、神から出て、神に帰っていく存在です。存在するものはすべて、いつくしみ深い、神のみこころによって造られました。  

知恵の書で次のように言われています。  
「全能のゆえに、あなたはすべての人を憐れみ、   
回心させようとして、人々の罪を見過ごされる。   
あなたは存在するものすべてを愛し、   
お造りになったものを何一つ嫌われない。   
憎んでおられるのなら、造られなかったはずだ。   
あなたがお望みにならないのに存続し、   
あなたが呼び出されないのに存在するものが   
果たしてあるだろうか。   
命を愛される主よ、すべてはあなたのもの、   
あなたはすべてをいとおしまれる。(知恵11・23-26)」  

更に、知恵の書は、続けて次のように述べています。  
「あなたの不滅の霊がすべての者の中に在る。(知恵12・1)」  
すべての人の中に、不滅の霊が宿っております。神は、すべての人を、ご自分の命、ご自分の幸せ、そして、救いへと導いてくださいます。  

テモテへの手紙の中でも、次のように言われております。  
「神は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられます。神は唯一であり、神と人との間の仲介者も、人であるキリスト・イエスただおひとりなのです。この方はすべての人の贖いとして御自身を献げられました。(一テモテ2・4-6)」  

聖書の教えは、疑いもなく、神はすべての人が救われることを望んでいると伝えています。そのために、父である神は、御子イエスを、わたしたちのもとに遣わしてくださいました。  

「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。   
独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。(ヨハネ3・16)」  

今日の第一朗読を思い出してください。既に旧約の預言者が、イエス・キリストによる救いを、あらかじめ告げ知らせていると言うことができると思います。  
イエスは、父である神へ至るための道であり、真理であり、命であります。イエスを通らなければ、誰も父のもとへ行くことができないと、今日の福音は述べております。  

そこで、問題は、「イエスを知らないで、生涯を終わってしまった人々、イエスを知る機会を与えられなかった人たちは、救いに与ることができるのだろうか。」ということであります。  
ここにいるわたしたちは、イエス・キリストを信じている人々であります。しかし、イエスを知らないで生涯を送った人は、特に、わたしたちの国、日本においてはたくさんいます。  

この問題について、第二ヴァチカン公会議は、わたしたちの慰めとなる教えを伝えているのであります。  
「キリストはすべての人のために死んだのであり、人間の究極的召命は実際にはただ一つ、すなわち神的なものである。したがって、われわれは神だけが知っている方法によって、聖霊が復活秘儀に与る可能性をすべての人に提供すると信じなければならない。」(現代世界憲章22項)  

聖霊の働きにより、すべての人が、イエス・キリストの復活の恵みに与る可能性が与えられていると、第二ヴァチカン公会議は教えているのです。  

今日、わたしたちは、死者のためにミサを献げています。死者のために祈るということは、わたしたちの教会が伝えてきた、非常にふさわしい、美しい、いつくしみの行為であります。  

教会は、「煉獄」という教えも伝えてきました。主の復活の栄光に与るために、準備をしている状態にある人々、清めを受ける必要のある霊魂の状態が、「煉獄」と言って良いのではないでしょうか。  

わたしたちは、今、この特別な機会を与えられて、それぞれ、亡くなった家族、友人、知人、いろいろな方々を思い起こし、いつくしみ深い主の神が、その人々に永遠の安息を与えてくださるように祈りましょう。