教区の歴史

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習志野教会堅信式説教

2016年10月30日

2016年10月30日、年間第31主日

[聖書朗読箇所]

説教

今、読み上げられました、ルカの福音は、わたくしたちが良く知っている、ザアカイという人の物語でありました。ザアカイという人は、エリコというところで、徴税人の頭(かしら)をしていた人です。徴税人という人は、福音書によく出てきます。罪人の代表のように見なされていた人でした。  

徴税人は、支配者、当時は、ローマ帝国の下に置かれていたユダヤ人から、徴税権(税を取り立てる権限)を与えられていた人です。人々から嫌われ、そして、憎まれていた人でありました。多分、自分の権限を使って、自分自身の私腹を肥やすということをしていた人もいたのでありましょう。非常に嫌われていた。  

そのザアカイが、イエスという人の評判を聞いて、ぜひイエスという人を見たいと願ったのであります。  
背が低かったので、いちじく桑の木に登って、上からイエスを見ようとした。その、ザアカイにイエスが目を留めて、声を掛けました。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」  
このイエスの言葉に、ザアカイは非常に喜んだのです。このザアカイのイエスとの出会い、それは、ザアカイという人にとっては、本当に大きな出来事でありました。  

今、わたくしたちは、「いつくしみの特別聖年」を祝っています。「いつくしみの特別聖年」は、教皇フランシスコの意向によって定められました。  
「神はいつくしみ深い方である」ということを、わたくしたちが更に深く悟り、そして、人々に神のいつくしみを伝える、神のいつくしみを実行するように、と教皇は願って、この特別な期間を定めたのであります。  
そのためには神のいつくしみを完全にあらわした人、神のいつくしみのみ顔である、イエス・キリストを、わたくしたちは更に良く知るようにと、教皇は願っておられます。  

教皇フランシスコの「いつくしみの特別聖年のための祈り」を、わたくしたちは、この一年、特に大切にしてきました。  
このお祈りの中に、イエスに出会った人の例が挙げられています。マグダラのマリア、そして、このザアカイ。イエスに出会って、神のいつくしみに触れた人たちです。  
神のいつくしみを受け、そして、自分自身が受け入れられ、愛されているということを悟った人たちの物語であります。  
人々からは嫌われていたザアカイですけれども、イエスという人に出会って、そして、本当に喜んで、新しい人生を歩むことができるようになりました。  

わたくしたち教会は、このイエスに出会った人たちの喜び、神のいつくしみに触れた人々の喜びを分かち合い、そして、人々に伝えるために造られた、神の民であります。  
わたくしたちも、人生のどこかで、イエス・キリストに出会い、そして、イエス・キリストを通して示された神の愛を知って、自分自身の救いを体験した者であります。  
まだ、その体験は弱く、かすかなものであるかもしれない。しかし、今ここでミサに与って、信仰を深めております。日々の生活の中で、もっと良く、主イエス・キリストを知ることができますように、共に祈り、助け合っていきたいと思います。  

今日の第一朗読を、今日は特に、深く味わいたいと思います。「知恵の書」という旧約聖書の第二正典と呼ばれております、聖書であります。新約聖書に非常に近いときに、作られたようであります。  
紀元前1世紀、エジプトのアレクサンドリアというところで、ギリシャ語で書かれたそうであります。旧約聖書の大部分は、ヘブライ語という言葉で書かれておりますが、この「知恵の書」はギリシャ語、そして、イエス・キリストが登場する数十年前に書かれた。そして、旧約聖書から新約聖書へと導入するという役割を果たしている、非常に大切な聖書であると思います。  

個人的な感想ですが、わたくしは、この箇所が非常に好きであります。わたくしのために、非常に慰めと励ましになる教えであります。  
「人はなぜ生まれてきたのか。何のために生きているのか。自分は何であるのか。」  
わたくしたちは、人生のどこかで、そういう疑問を持つのであります。「自分自身を受け入れるということが難しい」と感じることがないでしょうか。「自分にはこういう問題がある。他の人と比べてこの点で劣っている。」  
社会は、競争の場所であります。勝つ人もいれば、負ける人もいる。順番を付けられてしまう。そういう中で、「自分自身の価値というものを、どういうように受け止めることができるだろうか」という問題に悩んだことはないでしょうか。  

このことについて、「知恵の書」は、素晴らしいメッセージを告げています。  
神は、存在するものすべてを愛しておられる。神がお造りになったこの世界、この人間、それは、神様のみこころに従って造られたもの。もし、この世に存在するものを、憎んでおられるのならば、造られなかったはずだ。神が望まないのに存在しているものは、何一つない。わたくしたちが存在しているのは、神様のお望みによるのである。そして、わたくしたち一人一人、他にはない、かけがえのない存在として、神は大切に思ってくださっている。  

ですから、わたくしたちは、この世界に、他にありえない、唯一の大切な存在であります。そういう意味を、この「知恵の書」が、わたくしたちに告げています。そして、わたくしたちの中には、不滅の霊、神の霊が注がれている。  
わたくしたちの価値は、神様から来るのであります。神の霊が、わたくしたちの中にある。神の霊が、わたくしたちの中で働いている。誰でも、みな、神によって望まれ、神によって造られた存在であります。  

「いつくしみの特別聖年」は、あと3週間で終了いたしますが、この「いつくしみの特別聖年」にあたり、わたくしたちが、互いに、神様から不滅の霊を受けた者である、神様のお望みによって造られた者である、そこに、他の人では代えることができない尊い者であるのだというこの信仰を深め、そして、毎日の生活の中で、少しでもその信仰をあらわし、実行できますようにと、心から願っております。  

今日、これから、堅信を受けられるみなさん、「いつくしみの特別聖年」中に、この堅信の恵みをお受けになるのであります。  
聖霊の賜物を受け、自分自身を大切にし、そして、他の人も自分自身のように大切にすることができますよう、聖霊のお恵みをご一緒に、お祈りいたしましょう。