教区の歴史

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福音史家聖ヨハネ布教修道会誓願式ミサ説教

2016年10月22日

2016年10月22日、小金井教会

[聖書朗読箇所]

有期請願者    シスター  テレサ ドイラ  
有期請願者    シスター  ルチア 桑葉 睦子  
金祝       シスター  コレタ 鳥養 廸子  
ダイヤモンド祝  シスター  マルタ 満岡 妙子

説教

今日は、福音史家聖ヨハネ布教修道会誓願のミサを献げます。今日誓願を立てられるシスター方、そして、誓願の金祝、ダイヤモンド祝を迎えられましたシスター方を、心からお祝い申し上げます。おめでとうございます。  

さて、今日のごミサで、ヨハネの手紙が読まれました。ヨハネは、「神は愛である」と述べています。  
この「愛」という言葉は、最初にキリスト教が日本に伝えられたときに、採用することが、はばかられた言葉だそうです。愛と言う言葉は、あまり良い意味を持っていないと考えられた。「愛欲」の「愛」という意味合いを含んでいたようです。それで、いろいろ考えて、「ご大切」という日本語にしたそうです。  
しかし、明治になって宣教が再開されましたときに、「神はご大切である」というふうには、多分ならなかった。  
「神は大切」というと、多分今の日本語ではうまくいかない。それで、「愛」という言葉が使われています。「愛」という言葉の意味を説明して、日本語として定着するように努める方が良いというように考えたからだと思います。  
父である神は、御子イエスをお遣わしになりました。イエスのみ顔は神の愛、それを「いつくしみ」と言い換えた方が良いかもしれません。「神のいつくしみのみ顔」であります。  
今、わたしたちは、「いつくしみの特別聖年」を祝っております。11月20日で終了でありますので、残すところ、1ヶ月となりました。 「誰も神を見た人はいない」。イエスを見る者は、イエスを遣わされた神を見たのであります。父である神は、御子の生涯を通して、「愛する」ということを教えてくださいました。そして、イエスは、ご自分が弟子たちを愛した、その愛で、弟子たちも互いに愛し合うようにと教えたのであります。  
その愛を行うことができるように、聖霊を遣わしてくださいました。教会が誕生したのは、聖霊降臨のときであります。  
わたしたちは今、教会の時代を歩んでいます。ヨハネが言っております様に、「目に見える兄弟を愛さない者が、どうして目に見えない神を愛することができるでしょうか」。  
わたしたちは、日々出会う、兄弟姉妹を大切にするようにと招かれております。隣人を愛するということは、すなわち、主イエス・キリストにお仕えし、主イエス・キリストを愛することに、他ならないのであります。  

「いつくしみの特別聖年」にあたり、イエスの弟子たちは、より深く神のいつくしみを知り、味わい、そして、自分たちも、神のいつくしみを実行するようにと、強く求められているのであります。

「いつくしみのわざ」とは、マタイ福音書が教えている次の行いです。 
・飢えている人に食べ物を用意すること、  
・渇いている人に飲み物を与えること、  
・着るもののない人に衣服を与えること、  
・宿のない人に、その日泊るところを提供すること、  
・病気の人を訪問すること、  
・牢につながれている人を訪問すること、です。更に教皇は、  
・死者を埋葬する、 ということを述べられています。  

これは、わたしたちの生活では、あまり必要が感じられませんが、世界中のいろいろなところで、人が多数殺され、死体がそのまま放置されているという状況があるのだと思います。そして、日本でも、昔、戦乱に次ぐ戦乱の時代、京の都でも、死体がたくさん放置されていたということがあったと聞き及んでおります。  
以上はわたしたちが身体を通して行う行為ですが、更に言葉と祈りを通して行う霊的が「いつくしみのわざ」として、教皇様は次の事項を挙げています。  
・疑いを抱いている人に助言すること、  
・無知な人に教えること、
・ 罪人を戒めること、  
・嘆き悲しんでいる人を慰めること、  
・いろいろな侮辱をゆるすこと、  
・煩わしい人を辛抱強く耐え忍ぶこと、  
・生者と死者のために神に祈ること、
と、言われております。  
日々、このような神の愛を生きること、いつくしみを実行するためには、自分自身を無にし、たえず古い自分に死に、新しい人として生まれ変わらなければなりません。そのために、常に祈りを捧げなければなりません。  
「自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る」と、本日の福音が言っております。  
 すべてを超えて、神のみむねを行うことができるよう、聖霊の助け、聖霊の導き、聖霊の賜物を願い求めましょう。