教区の歴史
松戸教会堅信式・ミカエル祭ミサ説教
2016年10月03日
2016年10月2日、年間第27主日
説教
使徒たちは、主イエスに、「わたくしどもの信仰を増してください」と願いました。
イエスは、使徒たちに答えて言われました。
「もしあなたがたにからし種一粒ほどの信仰があれば、この桑の木に、『抜け出して海に根を下ろせ』と言っても、言うことを聞くであろう」。
なぜ、使徒たちは、「信仰を増してください」と願ったのでしょうか。今日の福音の箇所にすぐ前の箇所の教えが関係あるかもしれません。
今日の、ルカの福音の17章、今日の箇所のすぐ前の所を見ますと、「赦しなさい」という教えが出てきます。「兄弟が自分に対して罪を犯し、そして悔い改めたならば、何回許さなければならないでしょうか」と聞きましたら、「七回まで許しなさい」とお答えになった。
マタイの福音の方では、「七の七十倍許しなさい」と教えています。人の過ちを許すことは難しいので、もしかしたら、許すことができるような、そういう信仰をください、と願ったのかもしれません。
しかし、信仰というのは、増えたり減ったりするものでしょうか、と思いますが、多分、人の過ちを許すことができるほどの、深い、強い、堅い信仰を与えてくださいと願ったのだと思います。
信仰を堅くすると言えば、まさに、今日行われる「堅信の秘跡」の意味が、そのことを表しています。堅信の秘跡は、信仰を堅くする恵みを与える秘跡でございます。
「聖霊の七つの賜物」、「知恵と理解、判断と勇気、神を知る恵み、神を愛し、敬う心」を与える秘跡が、堅信の秘跡であります。
ところで、わたくしたちは「いつくしみの特別聖年」を祝っております。「信仰を強くしてください」と願うとすれば、わたくしどもはだれでも、そう願わなければならないと思います。そして、信仰と言えば、いつくしみ深い神への信仰を強くしてくださいと願うことではないかと思います。
「父がいつくしみ深いように、あなたがたもいつくしみ深い者でありなさい」と、主イエスは教えられました。主イエス・キリストは、いつくしみ深い父である神の、生きている神のみ顔でありました。その、イエス・キリストがつくられた神の民が、わたしたち教会です。
地上を去られた主イエスは、弟子たちに聖霊を注ぎ、弟子たちがいつくしみ深い者であることができるように、聖霊を与えて助けてくださっています。わたしたちもその聖霊の恵みを受けた者であり、また、今もこれからも、いつも受けることができると信じています。
いつくしみ深い者であるということは、どういうことであるのかということを、今日少しご一緒に考えてみたいと思います。
弟子たちは、兄弟の過ちを赦しなさいと言われて、それは難しいことだと、感じたのかもしれないし、わたしたちも同じように感じるかもしれません。
いつくしみ深いということは、まず、兄弟姉妹の罪を赦すこと、その人たちの過ちを赦すこと、わたしたちが、自分の家族や、あるいは友人、日々出会う人を温かく受け入れ、そして広い心で一緒に過ごすこと、そうすることが、いつくしみ深い者であるということだと思います。親切であること、忍耐強くあること、そうできますように、お祈りいたしましょう。
そして、更に、いつくしみ深いということは、困っている人や、悩んでいる人、苦しんでいる人を、助け、支え、そして慰めることでもあります。
マタイの福音書25章で、「最も小さい人たちにしたことは、わたしにしたことである」と、イエスは言われました。
「最も小さい人」というのは、食べるものが無くて苦しんでいる人、飲みものが無い人、着るものが無い人、寝る所が無い人、そういうように、人間として一番必要なことに不便を感じている人たちです。そのような人を助けなさい、ということであります。
更に、迷っている人、あるいは心の苦しみを持っている人を、慰めたり、励ましたり、場合によっては、教え導いたりする。もし、間違えているならば、戒めたり、あるいは忠告したりする。人の心に寄り添い、その人たちを励まし、助ける、そういうことが、いつくしみ深い者であるということではないかと思います。
人間は、体と心を持ったものでありますから、体の必要、つまり「食べること、飲むこと、着ること」、そういう必要に答えるとともに、心の問題、人間の心は傷ついたり、悲しんだり、悩んだりする。そういう人たちの心に寄り添い、そして、自分にできる助けを与えることが、大切であると思います。
堅信を受けるみなさん、これからの人生の歩みの中で、欠点のある人間を受け入れること、そして、必要な助けをしてあげること、このことを心掛けていただきたい。そのためには、神様の恵み、イエス・キリストの導きが必要であります。
どうか、今日の堅信の恵みを、生涯大切にし、そして「いつくしみの特別聖年」に堅信の秘跡を受けたことを、いつも思い起こしていただきたいと思います。