教区の歴史
築地教会訪問ミサ説教
2016年05月29日
2016年5月29日、キリストの聖体
説教
築地教会皆さん、今日はオズーフ大司教をはじめ、歴代の東京大司教(教区長)を追悼しながら、「キリストの聖体」を記念するミサをささげます。
「キリストの聖体」の制定の由来を、使徒パウロが今日の第2朗読「コリントの教会への手紙 一」の中で述べています。新約聖書の中で、ご聖体の制定を伝える最古の記録であるといわれています。福音書よりも、パウロの手紙の成立の方が古いのであります。
ちなみに、イエスが処刑された年は紀元30年と普通言われています。そして、パウロが劇的な回心を遂げたのは 35年ごろとなっておりますので、5年しかたっておりません。
そしてさらに、この「コリントへの教会への手紙」が書かれた年代は、54年から55年ごろだろうと言われています。紀元30年にイエスが亡くなりました。5年後にパウロが回心しました。そのパウロが、さらにおよそ 20年後でしょうか、この手紙を残しました。
ですから、この手紙が書かれたとき、キリストの処刑の出来事はそんなに前のことではなかったのです。
今日の福音の朗読は、5つのパンと2匹の魚の話であります。この話は、4つの福音書すべてに出てくる話です。実はわたしの司教の紋章に、この5つのパンと2匹の魚の話を取り入れております。この話は、十分にご聖体、そして感謝の祭儀を意識した話であると思われます。
わたしはこの、5つのパンと2匹の魚で5千人の人を養っても余りがたくさん出たという話を読むたびに思うことは、現代の世界の飢餓という現象であります。
今、人類は70億人ぐらいでしょうか。その中で数億もの人が十分に食糧を取ることができない状態にある、飢餓に苦しんでいます。他方、大量の食糧が食べられることなく廃棄されている現実があります。
食糧の生産量は、全人口の食事のために十分の量であるのに、その食糧が行き渡らないのです。生産されている食糧を、すべての人に行き渡らせるようになっていない。食糧はある。あり余って捨てられる。他方、飢えて死ぬ人がたくさんいる。この現実を私たちは残念に思い、悲しく思います。
今日の福音は、わずかな食べ物でも、分かち合うことによって、すべての人に恵みが行き渡るということを示していると思います。
今日はもう一つのことに触れたいと思います。アメリカのオバマ大統領のことです。
5月27日に広島の平和記念公園を訪問し、原爆慰霊碑に献花し、そのあと17分間の演説を行った。その演説の内容が全文報道されてあります。
多くの人が原爆によって命を落としました。彼はこの広島で戦争の犠牲になった人はもちろんですが、第2次世界大戦によって命を奪われた、たぶん6千万人ぐらいの人を悼んで、追悼する、という話をされました。そして自分の国「米国」を含む核兵器保有国が、核兵器のない世界を追求する勇気を持たなければならないと述べました。
現在、多くの国が核兵器を保有し、人類絶滅の脅威が存在していることをわたしたちは知っています。
主イエスは、「平和を実現する人々はさいわいである、その人たちは神の子と呼ばれる」(マタイ5・9)と言われました。
キリスト教はもちろん、すべての宗教は平和を説いております。平和のために働くようにと述べております。他方、自分の信仰を理由に、あるいは動機に、戦争を行い、あるいは殺りくを行ってきた人類の歴史も、否定できないのであります。
長い世界の歴史、地球の創造の中で、ほんのわずかな時間しか占めていない我々人類の歴史でありますが、知恵を発展させて、そして自分の生活を向上させるための技術を高度に進化させたと同時に、自分を守り、そして場合によっては人を排除し、殺害するための武器も、驚異的に発展させてきたのであります。
オバマ演説の中にそのことが触れられている。刀とか槍とか、それは自分の生活を確保するための道具でありましたが、同時に、対抗する者を殺りくするための道具でもあった。そして今や核兵器という、いまだかつてない大量破壊兵器を保有することになった。
宗教は、すべての人の間の和解、そして平和を説きますが、同じ宗教の名前を借りて、人々を殺りくする理由ともしているのではないか。それを防ぐことができないまま、人類の歴史は進行してきたということも述べているのかもしれないと思います。
わたしたちカトリック教会は世界平和のために尽くすことを決意し、日本のカトリック教会も唯一の被爆国として、核廃絶を訴えてきました。
特に今日、「キリストの聖体」を祝う日に、イエス・キリストの「御からだ」をいただくということは、イエス・キリストの心を自分の心とするということを表しております。
キリストの心と、生き方とは、敵を愛することです。キリストはその教えを自ら実行されました。主イエス・キリストの生き方を、わたしたちがもっと深く悟り、そして実行し、他の人々にイエス・キリストの心を表し、伝えていくことができますよう、お祈りいたしましょう。