教区の歴史

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神のいつくしみの主日・ミサ説教

2016年04月03日

2016年4月3日
けがれなき聖母の騎士聖フランシスコ修道女会東京修道院

[聖書朗読箇所]

説教

東京カテドラルのなかに「いつくしみのイエス」の肖像画が陳列されています。
この御絵は1931年2月22日、ポーランドのいつくしみの聖母修道女会のシスター、ファウスティナ・コヴァルスカに現れた主イエスのヴィジオンを描いたものです。
同日の日記でファウスティナは次のように述べています。
「夕方、修室にいた時、白い衣服を着ていらっしゃる主イエスを見ました。片方の手は祝福を与えるしぐさで上げられ、もう片方の手は胸のあたりの衣に触れていました。胸のあたりでわずかに開いている衣服の下から、ふたつの大きな光が出ていましたが、一つは赤く、もう一つは青白い光でした。沈黙のうちに主を見つめていました。しばらくして、イエスはわたしに言われました。「あなたが今見ている通りに絵を描きなさい。その下に『イエス、わたしはあなたに信頼します』という言葉を書きなさい。わたしのこの絵が、まずあなたたちの聖堂で、そして世界の至る所で崇められることを望む。」(『聖ファウスティナの日記―私の霊魂における神のいつくしみ―』聖母の騎士社、より)

さて、その後2000年になり、シスター、ファウスティナ・コヴァルスカは4月30日復活節第二主日に教皇聖ヨハネ・パウロ二世によって列聖された。その際、教皇は、以後復活節第二主日を「神のいつくしみの主日」と呼ばれるようにする、宣言しました。
おりしもわたしたちは「いつくしみの特別聖年」を祝っています。神のいつくしみとは何であるのか、しみじみ深く知ることができるよう、祈りたいと思います。

今日の福音、ヨハネ20章は、弟子たちが復活したイエスに出会った体験を述べています。それは復活したイエスを通して弟子たちが「神のいつくしみ」を深く体験した出来事でした。
では「神のいつくしみ」とは何でしょうか。
旧約聖書、新訳聖書における「いつくしみ」の意味を学ぶことが必要です。しかしきょうは教皇、聖ヨハネ・パウロ二世は回勅「いつくしみ深い神」(ペトロ文庫、カトリック中央協議会)でのべている「神のいつくしみ」について、わたくしが理解した事項を、以下に簡単に紹介するに留めます。

1.「いつくしみ」とは、「上から目線」の態度ではない。それは受ける側を小さく見て人間の尊厳を傷つけることではない。「いつくしみ」とはすべての人間に存在する人間の尊さ、美しさ、善さを分かち合うことである。

2.「いつくしみ」とは人の悪をただ見て同情することではなく、世界と人間の中に存在する悪からもよいことを見出し、引き出し、促進する、創造的な愛である。

3.それは一方的な与える行為ではなく、与える人が同時に受益者となることを意味する。一方的に他の人に善を施すということではなく、わたしたちから「いつくしみ」を受け取ってくれる人々から、実は同時にわたしたちも「いつくしみ」を受けているのだ、と深く確信するときに成り立つ。

4.「愛といつくしみ」が実現するのは、人がそれぞれ人間の固有の尊厳を認め合うときである。  

この教えをさらに深く考え祈り求めたいと思います。