教区の歴史
聖家族の祝日、説教
2015年12月27日
2015年12月27日、東京韓人教会
説教
「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」
今日の福音ルカの2章に出てくる12歳の少年イエスのことばです。当時のユダヤの社会で12歳の男子はどのような位置にあったのでしょうか。13歳になると成人とみなされ、律法を守る義務が生じた、ということですので、12歳ではまだ両親の保護のもとに置かれていたと考えられます。
母マリアのことば、「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです」、は親として当然の叱りのことばです。それに対するこのイエスの答えは理解し難いものでした。
両親にはこの言葉の意味が分かりませんでした。しかし、「母はこれらのことをすべて心に納めていた」のです。マリアのいう「父」は養父であるヨセフのことですが、イエスの言う「父」は天の父を指していました。
イエスとマリア、ヨセフの家族、聖家族の中心は父である神でした。聖家族においては、すべての家庭の営みは父である神の御心に従って行われました。
母マリアはイエスの言葉を理解できませんでしたが信仰のうちにこれを受け止め、静かに思いめぐらしながら日々の生活をしておりました。
おとめマリアが天使ガブリエルを通してお告げを受けたときの記憶はいつも彼女の心に深く刻まれていました。イエスのこの言葉をマリアはガブリエルのことばに重ねて思いめぐらしたことでしょう。
聖母マリアの信仰は実にわたしたちの模範であり、聖母はわたしたちの信仰の旅路の導き手、慰め、励まし、希望であります。
ところでマリアの夫、イエスの養父のヨセフもわたしたちの偉大な信仰の模範であります。ヨセフなくしてイエスの誕生はなく、イエスの誕生なくして聖家族はあり得ませんでした。
実にヨセフは信仰の人です。身に覚えがないのに許嫁が妊娠したことを知ったヨセフは深く苦悩します。しかしヨセフは夢の中で天使からお告げを受け、マリアが聖霊によって男の子を宿したことを信じました。
ヨセフが家族を連れてエジプトに避難したのも夢の中での天使のお告げによります。エジプトからイスラエル、そしてナザレに居住したのも、夢のお告げによる、とマタイ福音書は述べています。
聖家族は神を中心とした絆、神への信仰と信頼、そして希望によってしっかりと結ばれていた家族です。ナザレの聖家族の生活は穏やかに静かに流れていきました。いつしかヨセフはその役割を終えて世を去ります。イエスは母を置いて家を出、神の国の福音を述べ伝える宣教の旅に出て行ったのでした。
昨年と一昨年の10月に、世界代表司教会議がヴァチカンで開催されました。課題は《家族・家庭》です。現代世界には種々の多くの問題や課題が存在していますが、《家庭・家族》は共通の重要な課題であります。
いまわたしの念頭にある、重要な課題を項目にして申し上げましょう。
1) 結婚し、夫婦となり、親と子になるためには、よい準備、よい教育が必要である。
2) 「いつくしみの特別聖年」はまず家族の間で尊ばれなければならない。互いに赦し、互いに受け入れ、互いに祈りあうことが大切である。
3) 子は両親を敬い、大切にし、親は自分の子をあたかもイエスに仕えるように守り育てなければならない。
4) 信者の家庭は何よりともに祈りことを優先する。信者は信者でない家族のために祈り、そして、誠意をもって彼らに仕える。
ところで先日『いつくしみの特別聖年をむかえるにあたって』という大司教の書簡を皆さんに送りましたのでご覧いただいたことと存じます。この機会に「免償」について説明します。(以下口頭での説明)