教区の歴史
『いつくしみの特別聖年』開始ミサ説教
2015年12月08日
2015年12月8日 無原罪の聖マリアの祭日 東京カテドラルにて
説教
今日は無原罪の聖マリアの祭日です。
すべて人は原罪という弱さと汚れから免れることができません。ただ、神の母である、おとめマリア、聖母マリアだけは神の特別な恵みにより、その受胎のときからこの原罪の汚れを免れていました。
原罪はすべての人類が陥っている罪の状態です。わたしたちはしみじみ、自分の中に、罪への傾き、どうしようもない弱さ・脆さがあることを認めないわけにはいきません。
ところで今日は『いつくしみの特別聖年』開始の日です。この特別聖年の趣旨は教皇が特別聖年を宣言した大勅書『イエス・キリスト、父のいつくしみのみ顔』によって美しく説明されていますので是非お読みください。
わたくしは、『いつくしみの特別聖年』が無原罪の聖マリアの日に始まるということの意味を考えてみました。そしてそれは「清め」という点で見事につながっている、と思います。
今日の集会祈願でわたしたちは祈りました。
「御子の十字架の恵みによって、聖マリアがすべての汚れを免れたように、わたしたちも清いものとなり、あなたのもとに近づくことができますように。」
わたしたちはみな罪からの清めを必要としているのです。エバは神に対して不信仰であり不従順でした。マリアは神への信仰と従順によって、神の母となります。
彼女は「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように」(ルカ1・38)と答えて神の御心に従ったのでした。それゆえ聖母マリアはわたしたち教会の模範であり教会の母でありました。
自分の罪と戦い、また社会の悪と戦うためにわたしたちは神の恵み、神のいつくしみを必要とします。その点から『いつくしみの特別聖年』はわたしたちにとって意義深いと思います。
教皇フランシスコは『イエス・キリスト、父のいつくしみのみ顔』のなかで、罪人であるわたしたちが、神のいつくしみを思い起こし、神のいつくしみに触れるよう、繰り返し勧めています。
教皇はさらに「いつくしみの特別聖年のための祈り」を定めて皆が日々これを味わうように望んでいます。
この祈りはいつくしみの特別聖年公布の大勅書「イエス・キリスト、父のいつくしみのみ顔』の趣旨の要約であるといえます。今日はこの祈りをご一緒に味わいながら、「いつくしみ特別聖年」の最初の日を記念したいと思います。
(以下、節ごとに、祈りについての説明が続く)
主イエス・キリスト、
あなたは、わたしたちが天の御父のようにいつくしみ深い者となるよう教え、
あなたを見る者は御父を見る、と仰せになりました。
み顔を示してくださればわたしたちは救われます。
あなたの愛に満ちたまなざしによって、
ザアカイとマタイは富への執着から解き放たれ、
姦通の女とマグダラのマリアは、
この世のものだけに幸せを求めることから解放されました。
ペトロはあなたを裏切った後に涙を流し、
悔い改めた盗人には楽園が約束されました。
あなたはサマリアの女に、
「もしあなたが神のたまものを知っていたなら」と語られました。
このことばを、わたしたち一人ひとりに向けられたことばとして聞かせてください。
あなたは、目に見えない御父の、目に見えるみ顔です。
何よりもゆるしといつくしみによって、自らの力を示される神のみ顔です。
教会がこの世において、復活し栄光に満ちておられる主のみ顔となりますように。
あなたは、ご自分に仕える者が弱さを身にまとい、
無知と過ちの闇の中を歩む人々を、
心から思いやることができるようお望みになりました。
これら仕える者に出会うすべての人が、
神から必要とされ、愛され、ゆるされていると感じることができますように。
あなたの霊を送り、わたしたち一人ひとりに油を注ぎ、聖なるものとしてください。
神のいつくしみの聖なる年が、主の恵みに満ちた一年となり、
あなたの教会が新たな熱意をもって、貧しい人によい知らせをもたらし、
捕らわれ、抑圧されている人に解放を、
目の見えない人に視力の回復を告げることができますように。
この祈りを、いつくしみの母であるマリアの取り次ぎによって、
御父と聖霊とともに世々に生き、治めておられるあなたにおささげいたします。
アーメン。
(説教の結びは参加者全員によるこの祈りの唱和)