教区の歴史
『主にささげる24時間』招きの言葉
2015年03月14日
2015年3月14日 東京カテドラルにて
四旬節は復活祭を迎える準備のために祈り、回心し、黙想を行い、愛のみ業に励む時です。
教皇フランシスコは世界中の信者に、3月13日から14日の24時間を『主にささげる24時間』として祈りと黙想、回心のときとして献げるよう望んでおられます。黙想のテーマは『あわれみ豊かな神』(エフェソ2・4)です。皆さんの黙想の助けになることを願って以下の通り6つのポイントをお話します。
1.神の愛
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネ3:16)
この箇所は福音の要約、真髄であると言われております。
神はわたしたち人間を創造しました。それはわたしたち人間に神の「いのち」(※1) を与え、神の幸福に与らせるためでありました。しかし人間は神の好意に応答せず、神に背き、激しい神の怒りを引き起こしました。
それでも神は憐れみと慈しみの神です。神は人間を招くことをやめませんでした。神は慈しみの神であり赦しの神です。神はご自分の独り子イエスをこの世に派遣し、イエスが罪のあがないのために十字架にかかることさえ、耐え忍ばれました。
イエスの十字架は、わたしたち人間に永遠の「いのち」を与えるためでした。神は怒りを鎮め、心に痛みを憶えながらそれでも人間を救おうとし、愛する子イエスを地上に遣わし、イエスが十字架上で屈辱の死を遂げることを妨げられなかったのでした。
この時の神の心情を深く味わいたいと思います。
(※1) 引用した福音書の本文では、「命」という表記になっていますが、脚注の箇所で、「神の『いのち』」という表記になっているのは、イエスが語っている趣旨も含め生物的な意味での「命」ではなく、質的な意味での「命」を示そうとする目的によります。
2.神への愛と隣人愛
一人の律法学者がイエスに尋ねました。
「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか。」イエスはお答えになりました。「第一の掟は、『 心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』という掟である。そして 第二の掟は、『隣人を自分のように愛しなさい』という掟である。この二つにまさる掟はほかにない。(マルコ12・28-31参照)
この二つの掟はどのような関係にあるのでしょうか。この二つの掟は切り離せない関係にあります。
神を愛するとは神の御心を知り、御心を行うことです。神の御心とは隣人を愛すること、イエス・キリストが人々を愛したように隣人を愛することです。
神を愛しているかどうかは目に見える兄弟を愛しているかどうかによってわかります。目に見える兄弟を愛さないものは目に見えない神を愛することはできません。(一ヨハネ4・20-21参照)
神はわたしたちが兄弟を愛することを望んでいます。貧しい人、病気の人、体の不自由な人を助けることは主イエスに対して行う愛の御業であるとイエスは教えています。(マタイ25章参照)
またホセア預言者は言っています。「わたしが喜ぶのは愛であっていけにえではなく 神を知ることであって焼き尽くす献げものではない。」(ホセア6・6)
いくら神に焼き尽くすいけにえを献げても、困っている人の必要に目をふさぐ人は神を礼拝していることにはならないのです。
3.自己中心から出ること
わたしたちは誰しも自己中心の傾向をもち、自己の利益、名誉、快楽を優先させています。他の人の苦しみ悲しみに無関心であったり無理解であったりします。
その点でわたしたちは罪深い者です。自己中心で罪深いわたしたちが兄弟を愛することができるようになるためには神の恵みが必要です。
信仰を通して神の恵みに与らなければなりません。人はなかなか他の人の必要や苦しみに気が付かず、関心を持とうとしないものです。神はわたしたちが自分から出て、兄弟姉妹での必要に関心を持ち、自分の必要より人の必要を優先することを望んでいます。
4.派遣された者として
わたしたちが与る感謝の祭儀は普通〈ミサ〉と呼ばれています。このミサということばは派遣MISSIOに由来すると言われています。MISSIO とは派遣という意味です。
わたしたち教会は派遣された神の民、父と子と聖霊の三位一体の神によって派遣された神の民です。
何のために派遣されたのかといえば使命を実行するためです。使命とは福音宣教と言う使命です。福音宣教とはイエス・キリストへの信仰を宣(の)べ伝え証しするということです。
証しするとは、神から愛された者として、自分から出て、自分のことを忘れて、キリストの愛に生きるということです。神を愛するとは主イエスの道に倣って歩むということです。隣人を愛するとは兄弟への愛を生きることです。
5.パウロの教え
この愛について使徒パウロは次のように教えています。
「 愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。 すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。(一コリント13・4-7)
6.教皇の言葉
わたくしの「招きの言葉」を、教皇フランシスコの次の言葉で結びとさせていただきます。
「兄弟姉妹の皆さん。この四旬節の間、『わたしたちの心を、み心にあやからせてください』(イエスのみ心の連祷)と主にともに祈りましょう。
そうすれば、わたしたちは、強固で、あわれみ深く、細やかで寛大な心、自分の中に閉じこもることも、無関心のグローバル化にほんろうされない心をもつことができるでしょう。
この四旬節の歩みが、すべての信者と教会共同体にとって実り豊かなものとなるよう祈ります。どうか皆さん、わたしのために祈ってください。
主が皆さんを祝福し、聖母マリアが皆さんをお守りくださいますように。」