教区の歴史
神の母聖マリア・世界平和の日 説教
2015年01月01日
五井教会(午前10時半)、鴨川教会(午後2時)
説教
正月元旦は神の母聖マリアの祭日であり、また「世界平和の日」です。
今日の福音でルカは、
「マリアはこれらの出来事をすべてこころに納めて、思い巡らしていた」(ルカ2・19)
と記しています。ことしの「世界平和の日」の教皇メッセージの題名は「もはや奴隷としてではなく、兄弟姉妹として」であります。
以下にこのメッセージを読んでのわたくしの要約をお伝えし、併せてわたしの新年の思いをお伝え致します。
ことしの教皇の「世界平和の日」のメッセージは使徒パウロの「フィレモンへの手紙」からとられた言葉です。オネシモという奴隷がいました。彼はフィレモンの奴隷でした。しかしオネシモはパウロのもとでキリスト者となりました。
パウロはオネシモを主人であったフィレモンに送り返すにあたり手紙を書き送り、オネシモを「もはや奴隷としてではなく、兄弟姉妹として」受け入れるように頼みます。
人は皆同じ神を父とする神の子、であり、兄弟姉妹です。しかし人類の歴史は殺人と犯罪、人権侵害、そして奴隷制の歴史です。人類最初の殺人はカインによる弟アベルの兄弟殺しでした。カインはアベルを兄弟として受け入れず、妬みに駆られて弟を殺しました。
奴隷制とは他者を兄弟として認めず、人間の尊厳と自由を否定し、人間を所有物とみなし、人間を単なる手段とする、大きな悪であります。
現在においては公式には奴隷制は廃止されており、国際法により禁止されています。しかし今なお多くの人々が事実上奴隷の状態に置かれていることをわたしたちは認識しなければなりません。
恐ろしいことですが、違法な労働条件で働かされている労働者、恐怖と不安の中で非人道的な扱いを受けている移住者、売春を強いられ、ある結婚を強制されている人々、臓器売買のためにまた兵士にするために取引され売り渡されている子どもたち、テロ組織により拉致され戦闘員にされている人々や性的奴隷にされている少女や女性たちが多数存在しています。
このような恐ろしいことが起こっているのは何故かといえば、人を物のように扱うことが許されているという考え方が人を支配しているからです。また人身売買が起こる原因には極度の貧困という現実があります。さらに奴隷売買と人身売買に携わる人々の汚職という問題、その背景には、軍事紛争、テロ、暴力、犯罪という人類の構造悪が存在しています。
わたしたちは、人身売買、違法な移住取引に対して無関心であってはなりません。すでにこの問題に取組み、この悪と戦っている修道者の存在は敬意に値します。
人間の搾取にとりくむためには予防措置、犠牲者の保護、加害者への法的措置の三つの組織的活動を世界的ネットワークで行う必要があります。
国家は自国の法律が人間の尊厳を尊重したものになるよう努めなければなりません。国際機関は、人身売買や違法移住取引を取り締まるための組織を整備するよう求められています。企業には、人間の尊厳を尊重した労働条件と適切な賃金を保障する義務があります。
人は神のよびかけに応えて回心すれば、隣人に対する見方を変え、一人ひとりを人間家族の兄弟姉妹として認め、その人に人間としての尊厳を認めるようになります。
スーダン出身の聖人、奴隷とされていたジュゼッピーナ・バキータの生涯のあかしは、この教えについての美しい、そして大きな励ましの物語です。
教皇は今年の世界平和の日のメッセージを次のように呼びかけて結びとしています。
神はわたしたち一人ひとりに、「おまえの兄弟姉妹に何をしたのか」(創世記4・9-10)とお尋ねになることを、わたしたちは知っています。
現在、大勢の兄弟姉妹の生活を苦しめている無関心のグローバル化に対処するためには、わたしたち全員が、連帯と兄弟愛のグローバル化を実現させる必要があります。
そうすれば、彼らは、新たな希望を抱き、現代のさまざまな問題に直面しても新しい展望のもとに勇気をもって歩むことができるでしょう。その展望は、彼らが切り開くものであると同時に、神によってわたしたちの手にゆだねられたものでもあるのです。
今年は第二次世界大戦終了、広島・長崎原爆投下の70周年にあたる年です。ぜひとも戦争という人類最大の悪の終息と核兵器廃絶に向けてわたしたちの声を響かせまたそのための運動により一層の努力を傾けなければならないと思います。
本日の第二朗読でパウロは言いました。「あなたがたはもはや奴隷ではなく、子です。子であれば、神によってたてられた相続人です。」(ガラテヤ4・7)
すべての人がキリストの霊を受けた神の子として尊重される世界の到来を心から待ち望みましょう。
外部リンク:「聖ジュゼッピーナ・バキータの物語」カノッサ修道女会ウェブサイト