教区の歴史
無原罪の聖マリアの祭日・説教
2014年12月08日
東京カテドラルにて
説教
今日は無原罪の聖マリアの祭日です。
すべて人は原罪という弱さと汚れから免れることができません。ただ、神の母である、おとめマリア、聖母マリアだけは神の特別な恵みにより、その受胎のときからこの原罪の汚れを免れていました。教会はこの教えを聖マリアの「無原罪のやどり」と呼び、その教えを教義として宣言しました。
原罪はすべての人類が陥っている罪の状態です。自分の意思で犯す自罪とは区別されます。わたしたちはしみじみ、自分の中に、罪への傾き、どうしようもない弱さ・脆さがあることを認めないわけには行きません。
人間は誰でも自分の力で神の求める正しい状態に達することができないのです。人は生まれたときに、神の求める正しくふさわしい状態を実現するために必要な恩恵を失っている状態に置かれています。そこでこの世界の悪である世の罪の攻撃から自分を守ることができません。悪の誘惑と攻撃にさらされたときに、神の義に反する状態に陥ってしまうのです。原罪はわたしたち人間が自分自身の欲望をふさわしくおさめることのできない弱さ、人間性の中にある脆さであります。
この世界にはこの人間の罪が蓄積して、いわば構造となっている「構造的悪」と言うべき悪があります。わたしたち教会は、この構造悪と戦い克服するようにと召されています。
司祭は主の祈りの副文で祈ります。
「慈しみ深い父よ、すべて悪からわたしたちを救い、
現代に平和をお与えください。
あなたのあわれみに支えられ、罪から解放されて、
すべての困難に打ち勝つことが出来ますように。」
構造悪と闘う為には神の恵みが必要です。神の恵みは信仰と従順を通して与えられます。
今日の第一朗読・創世記3章とルカの福音1章では、最初の女とされるエバとおとめマリアの姿が対照的に描かれています。
エバは神に対して不信仰であり不従順です。マリアは神への信仰と従順によって、神の母となります。聖霊によって妊娠するというお告げを受け入れるということはどんなに辛く難しいことでしょうか。それでも彼女は「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように」(ルカ1・38)と言って神の御心に従ったのでした。
自分の罪と戦い、また社会の構造悪と戦うためにわたしたちは教皇フランシスコの教えに学びたいと思います。今日と来週の主日(待降節第三主日)の二回にわたり、東京カテドラル献堂50周年を記念して、教皇フランシスコの『福音の喜び』から学ぶための講演会を企画しています。
主イエスと聖母の生涯から、聖母の信仰から、罪と悪に打ち勝つ恵みを祈りも求めましょう。