教区の歴史
死者の日 説教
2014年11月02日
東京カテドラルにて
説教
今日の死者の日は主日と重なりました。このカテドラルのお墓にはわたしたちの家族、親族、友人、知人の方々が静かに眠っておられます。今日はその方々を偲んでミサをささげます。
わたくしは、まずなくなった方々を思い起こし、その方々に感謝をささげたいと思います。そして慈しみ深い主なる神が、その生涯のご苦労に豊かな報いを与えてくださるよう祈ります。
わたしたちキリスト信者にとって死とは何でしょうか。死者のミサの叙唱は死の意味を美しくかつ簡潔に述べています。
「信じる者にとって、死は滅びではなく、新たないのちへの門であり、地上の生活を終わった後も、天に永遠の住みかが備えられています。」
主イエスを復活させた神は、わたしたちも復活させ、人の手でつくられたのではない、天にある永遠の住みかにわたしたちを導いてくださいます。
旧約聖書のイザヤの預言は、すでに次のように言われています。
「主はこの山で、すべての民の顔を包んでいた布とすべての国を覆っていた布を滅ぼし、死を永久に滅ぼしてくださる。(イザヤ25・7-8)」
布とは埋葬のときに使う布や遺骸を包む布をさしているようです。
父である神の御心は、すべての人が救われて永遠の命を得ることです。そのために神は御子イエスを遣わされ、わたしたちのあがないと救いのために、御子が十字架の苦しみを受けられることすら拒まれなかったのです。
神は「わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死にわたされた(ローマ8・32)」のでした。
人生は苦難の連続です。しかし、イエス・キリストの愛によって、わたしたちはあらゆる困難と悪に打ち勝つことが出来るのです。
パウロは言います。
「わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。(ローマ8・38-39)」
わたしたちがよき戦いを戦い、よき終わりを全うできますよう、聖母の取次ぎによって祈りましょう。アーメン。