教区の歴史
2014年着座記念ミサ説教
2014年09月07日
2014年9月7日 年間第23主日 関口教会にて
説教
9月第一日曜日には毎年、ミサのなかでわたくしの大司教就任の記念を行っております。
2000年9月5日、着座式のミサ説教でわたくしは申し上げました。
「わたしたちの教会がすべての人に開かれた共同体、と、着くに弱い立場におかれている人々、圧迫されている貧しい人々にとって、やすらぎ、なぐさめ、はげまし、力、希望、救いとなる共同体として成長するよう、力を尽くします。」
このときからこの決意を実行するために、皆様のお祈りとご理解、ご支援をお願いしてまいりました。
教皇ベネディクト十六世は就任ミサの説教のなかで(2005年4月)「現代の荒れ野」と言うことを言われました。わたくしは、2000年の就任のときの決意に「東京教区は現代の荒れ野のオアシスとなろう」という目標を加えて、皆さんへの呼びかけを行ってきました。
今日の福音は兄弟への忠告について語ります。「教会に申し出なさい」とありますが、イエスの時代に教会共同体が存在したとは考えられないので、マタイの福音が形成されたころの初代教会共同体の様子を背景にして編纂された野田のだろう、と言う説を読んだことがあります。
この箇所の意味を考えるためには今日の福音の直前の箇所が参考になります。ここでは「迷い出た羊」の話が告げられています。(マタイ18・10-14)
羊飼いは羊が迷いでないように気を配り、迷い出た羊がいれば野山を探し回って見つけ出し連れ戻します。羊飼いの務めは羊を守り導くことです。
今日の第一朗読エゼキエル預言者は、悪人に警告を発するというイスラエルの家の見張りの務めについて語ります。イスラエルの家の見張りは、間違っている者を戒め間違いを正さなければければならない。
今日の第二朗読、ローマ書は「愛は隣人に悪を行いません。だから、愛は律法を全うするのです」(ローマ13・10)と語ります。愛は、人に、悪を避け、正しいこと、善を行うように導きます。わたしたちは誰しも、この務め,正しいことを教え、間違いを正す、と言う責任を持っています。教会の牧者は勿論そうですが、家庭においては、両親は子どもを教え導くと言う重大な責任を負っています。
これはなかなか難しい務めです。誰でも人が嫌がることは言いたくないし、また聞きたくないのです。人の間違いを正すと言うことは辛い務めです。
人は、人の言う事よりも行うことを重視します。自分が教えていてもそれを実行していない人の戒めは聞き入れにくいものです。わたしたちは、自分が教えることを実行する人でありたいものです。
今日はミサのあと、10月にヴァチカンで開かれる代表司教会議について話します。今その内容を簡単に紹介します。主題は家庭における福音宣教です。
日本では220年以上にわたり、司祭不在の状態で、ひそかに家庭において信仰が伝えられました。しかし現代は家庭において信仰を伝えることが難しくなっています。教会は家庭を支え助けたいと願っています。そのためにどうしたらいいのか、皆で考え祈りたいと思います。
司教協議会は、家庭の問題の相談部門の設置、充実、典礼と聖書の分かち合い、困難の中での共感と共生、結婚準備講座の充実、冠婚葬祭を大切にすること、婚姻手続きの簡素化の教皇庁への要望、などを考えています。
教会が砂漠のオアシスとなることがわたしの心からの願いです。教会は悩み迷う人の話しに耳を傾ける用意のある人々の団体でありたいと願っています。
「金がすべて」という価値観が支配的である日本の社会で、日本のカトリック教会は、主イエス・キリストの復活の光のしるしとなり、地上を越えた永遠の世界を指し示し、人々のための癒し、慰め、励まし、希望として、歩みたいと願い、祈っています。