教区の歴史

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カルカッタの福者テレサ記念ミサ説教

2014年08月30日

2014年8月30日(土)神の愛の宣教者会東京修道院にて

[聖書朗読箇所]

説教

福者コルコタのテレサの記念日は9月5日ですが、今日、マザー・テレサを記念するミサをささげて、福者テレサの生涯の歩みから学びたいと思います。

きょうの福音は五人の賢いおとめと五人の愚かなおとめの話です。

人生にはその人にしかできないこと、その人がしなければならないことがあるのです。皆さん、それぞれ考えて見ましょう。他の人には代わってもらえない、自分がするしかない大切なことがあります。

愚かなおとめは自分の油を用意していませんでした。油は自分で用意しなければならないのです。自分で油に火をともして、灯火をともさなければならないのです。

先ほど、入祭の歌で「わたしは世の光」と歌いました。わたしたちもイエスの光をいただいて、小さな灯火で自分の周りを照らしましょう。わたしたちはイエスから光を受けて、神の愛を実行しなければならないのです。イエスは十字架の上で「わたしは渇く」と言われました。貧しい人の中に言われるイエスへの愛を実行することこそが、イエスの渇きに答えることなのです。(これは昨年のミサで話したことでした。)

さて今日はマザー・テレサについて二つの話をします。

マザー・テレサは主イエスからの声を聞きました。今の生活を止めて、貧しい人のところに行って貧しい人に仕えなさい、という声です。マザーはその声を神からの呼びかけとして受けとめ、大きな喜びを持って新しい生活を始めたのでした。それは大きな喜びの体験、主との親密な交わりの日々、潤いと光の日々でした。

しかしその喜びに満ちた日々は長くは続きませんでした。すぐに霊魂の荒みの状態が始まりました。それは、多くの聖人が体験した「霊魂の暗夜」です。

彼女はそのような自分の魂の状態を霊的指導司祭に訴えています。その手紙が多数残っているそうです。それは何十年も続く辛い体験でした。

彼女はいつも「微笑み」の人でした。人には「いつも微笑んでいなさい」と教え、自分でも実行していました。彼女の微笑みの陰には、辛い暗闇の体験、霊魂の乾燥の状態があったのです。そのことを知ってわたくしは、慰めを感じました。

マザー・テレサは人間として、神の慰めから見放された辛い体験をしていたのです。

もう一つの話は、マザー・テレサのある祈りです。たまたま見つけた祈りですが、彼女は主イエスに、次のように願っています。

願いはすべてDeliver me O Jesus という言葉で始まっています。Deliver とは、英語のミサの中で、主の祈りのあとの副文で、司祭が唱える祈りの最初のことばです。イエズスよ、わたしを解放してください、救ってください、という意味です。何から解放してほしいのか,といえば、「望み」desireと「恐れ」fearから解放してほしいということです。

ではどんな望み(欲求といったほうがいいかもしれませんが)かと言えば、他の人から評価されたい、重んじられたい、という思いから出た望み(欲求)なのです。

少し意外な気がしました。しかしほっとする気持ちもあります。マザー自身、そのような誘惑を感じていたのでしょう。人から認められたい、尊敬されたいという思いを誰しも持つものです。マザー・テレサは、そのような思いから解放されたいと願ったのでした。

さらに「恐れ」から解放してほしいと願っています。どんな恐れかといえば、馬鹿にされること、蔑まれること、見下される、ということへの恐れなのです。

誰しも、「自分のことを馬鹿にしてもらいたくない」という強い気持ちを持っています。マザーはその誘惑と戦ったのだと思います。

人から馬鹿にされたくない、人に褒められたい、という欲望を人は持っているのです。マザーはこの欲望と日々戦い。この祈りをささげていたのではないでしょうか。*

わたしたちはマザーに倣いこの祈りを、心をこめてささげたいと思います。

 

*祈りの全文(試訳)と英語の原文は以下のとおりです。

イエスよ、わたしを解放してください。

愛されたいという思いから、評価されたいという思いから、

重んじられたいという思いから、ほめられたいという思いから、

好まれたいという思いから、相談されたいという思いから、

認められたいという思いから、有名になりたいという思いから、

侮辱されることへの恐れから、見下されることへの恐れから、

非難される苦しみへの恐れから、中傷されることへの恐れから、

忘れられることへの恐れから、誤解されることへの恐れから、

からかわれることへの恐れから、疑われることへの恐れから。

MOTHER TERESA’S PRAYER

Deliver me O Jesus from the desire of being esteemed.

Deliver me O Jesus from the desire of being loved.

Deliver me O Jesus from the desire of being honored, and being praised, and being preferred to others.

Deliver me O Jesus from the desire of being consulted.

Deliver me O Jesus from the desire of being approved and popular.

Deliver me O Jesus from the fear of being humiliated, from the fear of being despised, from the fear of being rebuked.

Deliver me O Jesus from the fear of being slandered, from the fear of being forgotten, and the fear of being wronged.

Deliver me O Jesus from the fear of being ridiculed and suspected.

Amen.