教区の歴史
平和旬間2014 武蔵野南宣教協力体「平和を願うミサ」説教
2014年08月15日
2014年8月15日 聖母の被昇天 高円寺教会にて
説教
今日8月15日は聖母の被昇天の祭日であり、また第二次世界大戦の終わった日であります。日本のカトリック教会は8月6日より15日までの10日間を平和旬間としております。この期間は日本の習慣では「お盆」の季節にあたり、お墓参りをする家も多いと思います。
本日はすべての戦争犠牲者のために謹んでごミサをささげ、永久の安息を祈りましょう。
第二次世界大戦では実に多くの人々が戦争の犠牲になりました。
一体、戦争は何故起こるのでしょうか。ユネスコ憲章のなかに有名な言葉があります。
「この憲章の当事国政府は、この国民に代わって次のとおり宣言する。 戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。
相互の風習と生活を知らないことは、人類の歴史を通じて世界の諸人民の間に疑惑と不信を起こした共通の原因であり、この疑惑と不信の為に、諸人民の不一致があまりにもしばしば戦争となった。」
戦争は人が引き起こします。人の心に起こる疑惑、不信、憎悪、嫉妬、敵意が人を戦争に駆り立てます。
8月6日、麹町教会でシスター三好千春さんの講演がありました。演題は「罪が戸口で待ち伏せている(創世記4:7)―過去を見る目と反知性主義―」というものです。よい話でした。
シスターの話は、創世記4章のカインの兄弟アベル殺しから始まりました。おそらくカインは嫉妬のあまり兄弟を殺害したのでした。自分にとって邪魔になると感じる人を如何に兄弟として受入れるのかという課題が、誰にとっても、平和のための働きの鍵になっています。
10日には渋谷教会で浜矩子さんの「正義と平和をどう抱き合わせるか―グローバル時代の聖書的な生き方―」という講演がありました。戦争は正義と正義の衝突です。平和は異質な相手を受入れ合う「共生」である、という話でした。
「共生」ということが、平和のための鍵ではないかと思います。
今日は聖母の被昇天、聖母の栄光を讃える日です。聖母はキリストの復活の栄光に最初に与った方であり、すべての天使と聖人に勝る栄光を受けられました。今日の福音は、教会の祈りの晩の祈りで日々唱えるマニフィカトからとられています。
「主はその腕で力を振るい、思い上がる者を打ち散らし、
権力ある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げ、
飢えた人を良い物で満たし、富める者を空腹のまま追い返されます。」(ルカ1・51-53)
「権力ある者をその座から引き降ろし」(ルカ1・52)に注目します。この世は、正に「支配・被支配」の構造で成り立っています。支配しようとし、支配されまいとして、争い、対立、戦争が起こります。マリアの賛歌はこの地上の秩序の逆転を宣言しています。
1941年12月8日(無原罪の聖母の祭日)に、日本は宣戦布告をしました。その理由は、欧米の支配からの自国を守るため、帝国の自存自衛のため、とされています。この世は「食うか食われるか」の修羅の世界のようです。
しかし、聖母マリアの言う神の世界は、力による支配のない世界です。神の支配だけが支配する世界であります。暴力・威嚇という力尽くで相手を屈服させることによる平和ではなく、神の支配に従うことによる平和です。
シスター三好と浜矩子さんのお話はその点で共通していたと思います。聖書の教えに適ったよい話でした。