教区の歴史
聖ペトロ 聖パウロ使徒 説教
2014年06月29日
2014年6月29日 東京カテドラル関口教会にて
説教
イエスはペトロに言われました。「あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。」(マタイ16・17)
別な訳では「黄泉の門もこれに打ち勝つことはできない」(田川建三訳)とあります。「黄泉とは悪の力を意味します。ペトロという岩の上に立てられた教会は絶えず悪の攻撃に曝されています。しかし教会は悪に打ち負かされることはない、とイエスは言われたのです。
わたくしは、この一年、絶えず「悪の存在と悪の力の攻撃」ということを感じてきました。悪とは世界の中にある悪であり、教会の中にある悪であり、そして自分たちの中にある問題であります。
教会は聖なる教会、聖霊を受けた人々の集会です。しかし同時に罪人の教会、過ちをおかす人々から成り立っている団体です。カトリック新聞の6月29日号をみますと教皇フランシスコのインタヴュー記事が出ております。
教皇は宗教を口実にした暴力の問題を取り上げ、17世紀の30年戦争がその例であると指摘し、原理主義者が神の名をおいて暴力を行使していることを非難しています。
また、教皇ヨハネ・パウロ二世の指摘も思い出されます。ヨハネ・パウロ二世は、紀元2000年の大聖年を迎えるにあたり、教会のメンバーの過去の過ちを指摘しました。その中には、「全体主義政権による基本的人権の侵害の黙認」が含まれています。
教皇フランシスコは「信仰年」終了の2013年11月24日、使徒的勧告『福音の喜び』を発表し、さらなる教会の刷新を力強く呼びかけておられます。この教えをぜひ学ぶよう、お勧めします。
「黄泉の門もこれに打ち勝つことはできない」というイエス言葉に信頼し、祈りのうちに、忍耐と希望をもって歩み続けてまいりましょう。
本日は、ペトロとあわせて使徒パウロを記念しています。この機会にテモテへの手紙二を通読するとパウロの人間的な声が聞こえ、非常に感動します。
パウロはローマの牢獄から愛する弟子テモテに切々たる手紙を送り、「ぜひ、急いでわたしのところに来てください」(二テモテ4・9)と訴えています。また個人的な頼みも出てきます。「あなたが来るときには、わたしがトロアスのカルポのところに置いてきた外套を持って来てください。また書物、特に羊皮紙のものを持って来てください」(二テモテ4・13)と述べていて、臨場感が出ています。
パウロはこの手紙を殉教の2-3ヶ月前に書いたようです。
パウロは自分の生涯を振り返りながら言いました。
「主はわたしをすべての悪い業から助け出し、天にある御自分の国へ救い入れてくださいます。主に栄光が世々限りなくありますように、アーメン。」(二コリント4・18)
実際、福音宣教のためにパウロが受けた艱難は筆舌に尽くしがたいものでした。パウロはその苦難の数々をコリントの信徒への手紙二で列挙しています。(二コリント11・23-29)
使徒パウロの生涯は試練との戦いの連続でした。パウロは主の助けによってすべての悪に打ち勝つことができたことを感謝し、殉教を目前にして、決定的に主の復活に与るという希望を述べています。
さてこの機会をお借りして今年の平和旬間について一言申し上げます。
1981年広島を訪れたヨハネ・パウロ二世は言われました。
「戦争は人間のしわざです。戦争は人間の生命の破壊です。戦争は死です。」「過去をふり返ることは将来に対する責任を担うことです。」(「平和アピール」)
この教皇の声は33年を経てなお強くわたしたちの心に響いています。
戦争ほど悲惨で愚かな所業はありません。わたしたち人類はどんなことがあっても戦争の過ちを繰り返してはならないのです。
わたしたちもあらためて第二次世界大戦に至ったときの流れを振り返りながら、日本国民として、またカトリック教会のメンバーとして、この戦争のもたらした悲しい結果に対する責任を自覚しなければないと思います。
教区ニュースの最新号は今年の平和旬間の企画を知らせています。また今年の平和旬間のパンフレットも出ており、大聖堂入り口においてありますので是非お読みください。ことしは東アジアの平和についてとくに学び祈りたいと思います。
この機会に、ヨハネ・パウロ二世の「広島平和アピール」、そして日本カトリック司教協議会の平和に関する文書を取り上げていただけると幸いです。*