教区の歴史
カルカッタの福者テレサ記念ミサ説教
2013年08月31日
2013年8月31日 神の愛の宣教者会東京修道院にて
説教
福者カルカッタのテレサの記念日は9月5日ですが、今日、マザー・テレサを記念するミサをささげて、福者テレサの生涯に学び、その生涯から学びたいと思います。
神様はすべての人が救われることを望んでおられます。神様はすべての人の神、すべての人の父です。キリスト教徒だけの神ではありません。すべての人が救われることを望んでおられる神様は、すべての人が救われるよう計らってくださると思います。
インドでは、国民の大多数はキリスト教以外の宗教、ヒンズー教とかイスラム教などの信者であると聞いています。マザー・テレサはヒンズー教の人が誰からも面倒を見てもらえないでさびしく死んで行くときに、その人が人間として大切な存在である、ということを分かっていただけるようにお世話をした、と聞いております。
神様はすべての人が救われることを望んでおられ、すべての人に恵みを与えてくださる、聖霊を注いでくださる、とわたしは信じています。
今、日本では多くの人が淋しい生涯を送っています。独りで淋しくこの世を去らねばならない人もいると思います。どんな人にも、あなたは大切です、というメッセージを伝えていくことがわたしたちの務めではないかと思います。
きょうの福音は五人の賢いおとめと五人の愚かなおとめの話です。愚かなおとめは賢いおとめに「油を分けてください」と頼みましたが断られました。意地悪ではないですか?分かりにくい話です。これはどういう意味でしょうか?
わたしはこの問題を次のように考えています。
人生には、他の人に替わってもらえることと、他の人には替わってもらえないことがあります。
人生にはその人にしかできないこと、その人がしなければならないことがあるのです。皆さん、それぞれ考えて見ましょう。他の人には替わってもらえない、自分がするしかない大切なこととは何でしょうか?
愚かなおとめは自分の油を用意していませんでした。この油とは、何でしょうか?油は自分で用意しなければならないのです。自分で油に火をともして、灯火をともさなければならないのです。先ほど、入祭の歌で「わたしは世の光」と歌いました。わたしたちのイエスの光をいただいて、小さな灯火で自分の周りを照らしましょう。
多くの人が、病気です、心が、からだが病んでいます。さびしくすごしています。他の人とどうしたらつながりを持つことができるのか、わからない人がいます。他の人とうまく話が通じないで、ひとりで閉じこもってしまう人もいます。自分の世界に閉じ篭り、人と心を通わせることができなくなっています。そのような人々の心に話しかけ働きかけ、心のつながりをもつように助けることができればすばらしいと思います。難しいことですが、そのとき、聖霊がその場に働いてくださると信じます。
聖霊の助けを願いましょう。どうか知恵と勇気をお与えください、聖母の取次ぎを願いながら。アーメン。