教区の歴史
年間第14主日ミサ説教―パウロ大倉一美神父司祭叙階金祝ミサ―
2013年07月07日
2013年7月7日 徳田教会にて
説教
今日の主日の福音で主イエスは平和について語っています。イエスは72人の弟子を任命し、派遣しました。その際言われました。
「どこかの家に入ったら、まず『この家に平和があるように』と言いなさい。」(ルカ10・5)
実に、わたしたちは平和のために祈り平和のために働くと言う使命を受けています。主イエスは言われました。「平和を実現する人々は幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる。」(マタイ5・9)
主イエスはさらに言われました。
「平和の子がそこにいるなら、あなたがたの願う平和はその人にとどまる。もし、いなければ、その平和はあなたがたに戻ってくる。」(ルカ10・6)
これはどういう意味でしょうか?
平和への願いはすべての人の願いであるはずです。しかし、神の平和、神の祝福を人々が受け入れるとは限りません。わたしたちはただ、平和のために祈り平和のためにひたすら働き、その結果は神の裁きにゆだねるべきです。
「平和」とはただ戦争や争いがないという状態ではありません。平和とは神のみ心が行われていること、神の恵みに満たされた状態を言います。
いまから50年前、教皇ヨハネ二十三世は『地上の平和』という回勅を発表しました。教皇は当時の東西冷戦の緊張した国際情勢の中で、世界の政治指導者が冷静かつ賢明に対処することを求め、地上の平和の実現のために協力するよう呼びかけました。
平和とは神のみ心が浸透しているという「秩序」であり、平和の君、キリストの恵みによってもたらされます。教皇はこの秩序を次のように要約しています。
「その秩序とは、真理を土台とし、正義によって築かれ、愛によって生かされ、最後に、自由によって実践されるのです。」
ここでいう「真理」とは何より、神の定めに基づく真理であり、人間の尊厳についての教えです。誰でも人間は神によって「尊厳」が与えられています。互いに人間の尊厳を認め合い尊重しなけれなりません。
真理とはまずこの「人間の尊厳」であります。ヨハネ二十三世は「平和は、キリストを土台にして、真理、正義、愛、自由の柱の上に建てられる家である」といっています。
東京教区では、今年の平和旬間には教皇ヨハネ二十三世の『地上の平和』を学び、その教えを実践に移すようお願いしています。
日本カトリック司教協議会はいろいろな機会に平和を訴えるアピールやメッセージを発表してきました。敗戦五十周年に際しては当時の司教全員で『平和への決意』と言うメッセージを出しています。
これは今でも多いに意義ある訴えです。それと平行して同じときに当時の正義と平和協議会は『新しい出発のためにー平和を愛するすべての兄弟姉妹、特にアジア・太平洋地域の皆さんへ』を発表しました。
この声明は述べています。
「日本の教会は、なぜあの侵略戦争を正しく聖なる戦争ととらえたのか、その神学的根拠を解明すること。なぜあのような天皇制国家主義・民族主義の枠に取れわれ、のめりこんでいってしまったのかを分析し、その信仰のあり方を問うこと、これらのことは現在の私たちの信仰の問題であります。」
どんなに立派な人もその時代、その場所の影響から免れない、ということを歴史が示しています。教会も軍国主義・民族主義の流れの中で主イエスの福音から外れてしまうというあやまちを侵しました。教皇ヨハネ・パウロ2世は書簡『紀元2000年の到来』でこの点を指摘しています。
わたしたちはいまの時点で、真摯に、時の流れの中で福音の呼びかけに答えるよう努めなければならないと思います。
聖霊よ、どうかわたしたちを照らし導き助けてください。
アーメン。