教区の歴史

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喜多見教会85周年記念ミサ説教(キリストの聖体の祭日)

2013年06月02日

2013年5月26日 キリストの聖体の祭日
喜多見教会にて

[聖書朗読箇所]

説教 

喜多見教会の皆さん、創立85周年、おめでとうございます。

今日はキリストの聖体の祭日です。二つのことを申し上げたいと存じます。 

まず「記念」ということです。

今日のコリントの教会への手紙は、「わたしの記念としてこのように行いなさい」(一コリント11・24-25)という使徒パウロの言葉を伝えています。司祭はミサのなかで奉献文を唱えるときに同じ言葉を唱えます。「これをわたしの記念として行いなさい。」

教会はミサにおいて「主イエスの死と復活の記念」を行います。「記念」のギリシャ語原文は「アナムネーシス」といいます。この場合、昔起こったことを思い出して感謝しお祝いするだけではなく、キリストの死と復活が「今、ここで」起こっている、現在化している、ということを意味しています。

イエスの死と復活はただ一回限りのものでした。しかし、その意味と恵みはすべての人に及びます。「記念」(アナムネーシス)ということばは、すべての場所、すべての時代にイエスの死と復活の神秘が及ぶことを意味しています。

次に、今日の福音、「五つのパンと二匹の魚の奇跡の話」についてです。わたくしは「五つのパンと二匹の魚」の絵を司教の紋章にしています。

わたしたちは貧しい神の民です。イエスの周りに集まった人たちは貧しい人ばかりでした。生きるために頼りになるものをもたない人たちです。健康に恵まれない、食べるものにも事欠く人々です。その人々は、罪人としてさげすまれ嫌われています。誰かに相談して助けてもらうにしてもその相手が見つからない。孤立し窮乏し絶望している人々。そういう人々がイエスのうわさを聞いて集まってきました。男性だけで5千人。(女性・子どもも当然いたでしょう。) 日が暮れて食べ物がない。わずか五つのパンと二匹の魚だけが食物のすべてでした。イエスはパンと魚を手に取り、天を仰いで賛美の祈りをささげて群衆に配りました。そしてすべての人が満腹することができたのです。

わたしはこの奇跡はわたしたち教会のあり方を示していると思います。神様からいただいた才能、財産、健康など乏しいものでも分かち合いましょう。それを神様が祝福してくださいます。自分のものだけにしないようにしましょう。恵みは分かち合いによって広がります。そこには復活のキリストがおられるからです。

主よ、わたしたちに聖霊を遣わしてください。貧しいわたしたちを祝福し、わたしたちを通してあなたの光と恵みを現してください。

わたしたちがいつも復活された主キリストへの信仰と希望をを持って歩んでいくことができますように。

アーメン。