教区の歴史
東京教区召命祈願ミサ説教(世界召命祈願の日・復活節第四主日)
2013年04月21日
2013年4月21日 復活節第4主日 東京カテドラルにて
第一朗読 信徒言行録13・14,43-52
第二朗読 黙示録7・9,14b-17
福音朗読 ヨハネ10・27-30
(福音本文)
[そのとき、イエスは言われた。]わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う。わたしは彼らに永遠の命を与える。彼らは決して滅びず、だれも彼らをわたしの手から奪うことはできない。わたしの父がわたしにくださったものは、すべてのものより偉大であり、だれも父の手から奪うことはできない。わたしと父とは一つである。」
今日は世界召命祈願の日です。先週の日曜日の福音、ヨハネの20章はペトロの召命の場面でした。復活したイエスはペトロに三度にわたり「わたしの羊を飼いなさい」と命じました。イエス・キリストはこのペトロを礎にして教会を設立したのです。
ペトロだけでなくわたしたちもそれぞれ神様から呼びかけを受けています。教会とは神に呼び集められた神の民です。わたしたちはそれぞれ自分の使命を受けているのです。
召命とは神様からの呼びかけです。わたしたちはきょう、あらためて神様がわたしたちに何を呼びかけているのか、神様の呼びかけは何であるのか、ということをよく考え、神様の呼びかけによく答えることができますよう祈らなければなりません。
いまわたしたちは「信仰年」を過ごしています。東京教区は信仰年にあたり次のように祈っています。
「信仰年」を過ごすわたしたちを聖霊によって強め、導き、新たにしてください。救いの道具として選ばれ、地の塩・世の光として派遣されている教会共同体が、現代の荒れ野において悩み苦しむ多くの人々をいやし、慰め、希望となることができますように。
この祈りの中にわたくしは、東京教区としての召命が示されていると思います。
今日の福音でイエスは言われました。
「わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う。」(10・27)
わたしたちは皆、イエス・キリストの羊です。羊は飼い主の声を聞き従わなければなりません。キリストの声を聞くことが大切です。キリストの声を聞くとはどういうことかといえば、何よりまず「祈る」ということだと思います。
「祈る」とは神の声を聞く、ということです。それはまた聖書を読み味わうということです。また隣人の声にも耳を傾けることでもあります。
「信仰年」にあたり、わたくしが再三、「イエス・キリストをより深く知る」ことを皆さんに呼びかけておりますことに心を留めていただきたいと思います。
今日は「一粒会」の皆さんの担当によりこの召命祈願ミサがささげられています。この場をお借りして「一粒会」の皆さんのお祈り、献金、奉仕に心から感謝申し上げます。
3月3日、わたしたちはここカテドラルで二名の司祭叙階式を行い、大きな喜びをいただきました。いま東京教区の神学生は三人になりました。多くの若者が司祭への道を歩んでくださるよう願っています。
召命とは信仰による応答です。
召命といえばわたくしはアブラハムを思います。彼は神の呼びかけに答えました。それは大きな試練を引き受けるということでした。
人生は試練です。キリスト信者にとって人生とは、困難のなかで、自分を神にささげること、神の前に決断し選択し、その結果に対して責任を取る、ということです。自分の人生を自分で引き受けて生き抜く人々には神の助けがあります。
今日は引退された教皇ベネディクト十六が、本日、世界召命祈願の日のためにあらかじめ用意されたメッセージの一部を引用して説教の結びといたします。
現代においても、イエスは「わたしに従いなさい」(マルコ10・21)と語り続けています。イエスに従うとは、自らの意志をイエスの意志の中に沈め、真にイエスを優先し、(中略) わたしたちのいのちそのものをイエスに引き渡し、イエスと深く一致して生き、イエスを通して聖霊のうちに御父との交わりへと、また、それゆえに兄弟姉妹との交わりへと入ることを意味します。
この教皇様の言葉を深く味わいながら、ご一緒に祈りましょう。
召命はすべての人への神様の呼びかけです。召命のない人はいません。あなたにも、あなたにも神様は呼びかけています。
召命によくこたえることができますよう、祈りましょう。