教区の歴史

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聖パウロ修道会誓願式ミサ説教

2013年03月19日

2013年3月19日・聖ヨセフの祭日
聖パウロ修道会本部修道院(新宿区)にて

 

初誓願宣立者 

イグナチオ・デ・ロヨラ 石水智道 修練者

         レオ 大西徳明 修練者

 

第一朗読 サムエル記(サムエル下7・4-5a、14a、16)

第二朗読 ローマ4・13,16-18,22

福音朗読 マタイ1・16,18-21,24a

 

(福音本文)

ヤコブはマリアの夫ヨセフをもうけた。このマリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった。

イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。

夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。

マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」

ヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じたとおり、妻を迎え入れた。

 

きょうは聖ヨセフの祭日、そして教皇フランシスコが就任する日です。この日に初誓願を宣立するお二人、

イグナチオ・デ・ロヨラ 石水智道 修練者

         レオ 大西徳明 修練者

は特別な思いを持ってこの日を迎えたことと思います。

いまわたしたちは『信仰年』を過ごしております。お二人には特に聖ヨセフの信仰に学ぶよう、お願いしたいと存じます。

さて、東京カテドラルの庭、西の端に、ちょうど主祭壇の真正面になりますが、聖ヨセフの像が立っています。胸に手を当てて思案している場面です。像の名前は「受けとめるヨセフ」ですが、どうしようかと悩んでいるようにも見えます。

ルカによる福音書によれば、マリアは天使ガブリエルのお告げを受け、聖霊によって救い主の母となる事を告げられました。彼女はすでにヨセフという許婚がおりました。聖霊による妊娠という事をいったい誰が信じてくれるでしょうか?ヨセフになんと説明したらいいのでしょうか?彼女は戸惑い苦悩します。

しかし、神のお告げに従う決心をし、「お言葉どおりこの身になりますように」(ルカ1・38)と返事をしました。このマリアの承諾がなければイエスは人となることができなかったといえます。

他方、許婚のヨセフはマリアの妊娠を知り苦悩します。ひそかに離別しようと考えていたときに、夢の中で天使が現れ、マリアに宿った子は聖霊によるのであり、それは神がすでに預言者を通して言われたことが実現するためだとヨセフに告げました。

ヨセフは天使の言葉を信じ、マリアを受け入れました。ヨセフは素直にマリアの潔白を信じたのです。このヨセフの諒解がなければ、マリアはヨセフの妻になることができず、その結果、マリアは姦通の罪を犯した女として、石殺しの刑を受けることになるはずでした。ヨセフはマリアを受け入れることにより、マリアとその子イエスの生命を守ったのでした。

マリアは夫ヨセフがいなければ、危険に満ちた2000年前のユダヤの地でイエスを無事に育てることはできなかったことでしょう。

ヨセフ、マリア、イエスの家族はナザレという地で貧しくも静かで穏やかな生活を送ったと思われます。ヨセフはイエスが30歳になる前に死去したようです。

ヨセフの生涯は妻マリアを保護し、イエスを育てるためにささげられました。ヨセフを支え導いたものは何であったのでしょうか?

それは夢の中で彼に告げられた主の言葉、神の導きでありました。このヨセフの信仰はわたしたちの模範です。

ヨセフは不言実行の人、神のみ言葉に従って誠実に生き、自分の役割を忠実に果たして静かに地上の生涯を終えた人でした。そのような生き方がいま求められています。

きょう、ローマの聖ペトロの広場で、わたしたちの新しい教皇フランシスコの就任のミサがささげられます。

わたしたちの教会はいま大きな危機の状態にあると思います。教皇庁を覆う疑惑、そして各地で聖職者による性虐待というスキャンダルによって教会への信頼は大きく揺いています。

いまは悔い改め・回心のときです。教会の創始者ナザレのイエスの精神と生き方へ立ち戻るときです。聖ヨセフの信仰に倣って謙遜で質素・誠実な生き方を選ぶときです。

新しい教皇が聖フランシスコの霊性に倣い、清貧と謙遜の霊性の模範を示してくださると期待しています。

霊的な指導力を発揮してわたしたちの教会を刷新してくださいますように教皇のために祈りましょう。

わたしたちが、貧しい人、苦しむ人、病み患う人々と共に歩に歩むことにより、わたしたちがキリストの弟子であるというあかしを示すことができますよう、聖霊の導きを願いましょう。