教区の歴史
マルチアリス青山和美神父通夜説教
2013年01月28日
2013年1月28日 18:00 東京カテドラルにて
福音朗読 ヨハネ14・6-14
(福音本文)
イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている。」
フィリポが「主よ、わたしたちに御父をお示しください。そうすれば満足できます」と言うと、イエスは言われた。
「フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分かっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのだ。なぜ、『わたしたちに御父をお示しください』と言うのか。わたしが父の内におり、父がわたしの内におられることを、信じないのか。わたしがあなたがたに言う言葉は、自分から話しているのではない。わたしの内におられる父が、その業を行っておられるのである。わたしが父の内におり、父がわたしの内におられると、わたしが言うのを信じなさい。もしそれを信じないなら、業そのものによって信じなさい。はっきり言っておく。わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。わたしが父のもとへ行くからである。わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。こうして、父は子によって栄光をお受けになる。わたしの名によって何かを願うならば、わたしがかなえてあげよう。」
青山和美(かずよし)神父様は2013年1月25日、56年にも及ぶ司祭の奉仕を全うして、主のもとに召されました。享年85歳でした。兄上である謙徳(かねのり)神父様が帰天されてからわずか2ヶ月後のことでした。
わたくしは1月22日、幸田司教と一緒に桜町病院に和美神父様を見舞い、病者の秘跡をお授けすることができました。
実は1月17日、幸田司教を通してわたくしに神父様の「手紙」が届きました。昔懐かしい「結び文」です。これは、苦しい息の中で神父様が記された遺書でありまた信仰告白です。
この文の結びは次のようです。
「何も書けなくなりました。神と教会とあなたを信じます。青山和美」
これは、神父様が最後の力を振り絞って行った信仰告白です。いまわたしたちは「信仰年」を過ごしています。神父様は信仰年のわたしたちにこのメッセージを残されました。
「神を信じます。」
わたしたちは父と子と聖霊の三位一体の神を信じています。《信条(クレド)》の構造を分析すれば、三つの部分に分かれていることが分かります。
わたしたちはまず父である全能の神を信じます。そして父から生まれた御子イエス・キリストを信じます。そして、父と子とともに神として礼拝される聖霊を信じる、と信仰告白します。
聖霊を信じるわたしたちは、聖霊が宿り聖霊が働いている教会を信じます。教会は聖霊を受けた神の民です。神の民はさまざまな聖霊の賜物をうけています。また神の民はさまざまは役割を担っています。教会はキリストの体です。(昨日の主日のパウロのコリントの教会への手紙が教えるとおりです。)
わたしたちの教会には実は多くの問題があり、困難なことがあるのです。それでも、聖霊が教会に注がれており、聖霊がわたしたちを導き助けてくれることをわたしたちは信じます。
「あなたを信じます。」
「あなた」とは不肖わたくしのことでしょうが、多分、司教であるわたし、使徒の後継者である司教のことだろうと思われます。司教・司祭は「土の器」にイエス・キリストの使命を遂行するという尊い任務を受けています。
わたしたちは、自分がどんなに弱くもろく、罪に陥りやすい存在であるのか、を日々実感しています。そのわたしたちは弱さを認め合いながら、赦しあい助け合って、任務を遂行していきます。しかしそれは聖霊の働きがあるので可能なのです。
イエスはフィリポに言いました。「わたしが分かっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのだ。なぜ、『わたしたちに御父をお示しください』と言うのか。わたしが父の内におり、父がわたしの内におられることを、信じないのか。」
イエスは見えない神の見える存在、人となった神でありました。教会はそうはいきません。まことに不完全な「しるし」、復活したイエスのしるしでしかありません。弱い人間性をまとっているわたしたちは神の栄光を現すには貧弱な存在です。しかし神の恵みは人間の弱さの中に働きます。
イエスは言われました。「はっきり言っておく。わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。わたしが父のもとへ行くからである。 わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。こうして、父は子によって栄光をお受けになる。わたしの名によって何かを願うならば、わたしがかなえてあげよう。」
このみ言葉に信頼し、青山神父様の信仰告白に感謝し、復活したキリストの証を立てることができますように、祈りましょう。アーメン。