教区の歴史

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関口教会待降節黙想会ミサ中説教

2012年12月02日

2012年12月2日 東京カテドラル関口教会にて

 

第一朗読 エレミヤ33・14-16

第二朗読 一テサロニケ3・12-4・2

福音朗読 ルカ21・25-28,34-36

 

(福音本文)

〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕 「それから、太陽と月と星に徴が現れる。地上では海がどよめき荒れ狂うので、諸国の民は、なすすべを知らず、不安に陥る。人々は、この世界に何が起こるのかとおびえ、恐ろしさのあまり気を失うだろう。天体が揺り動かされるからである。

そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。このようなことが起こり始めたら、身を起こして頭を上げなさい。あなたがたの解放の時が近いからだ。」

「放縦や深酒や生活の煩いで、心が鈍くならないように注意しなさい。さもないと、その日が不意に罠のようにあなたがたを襲うことになる。その日は、地の表のあらゆる所に住む人々すべてに襲いかかるからである。しかし、あなたがたは、起ころうとしているこれらすべてのことから逃れて、人の子の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈りなさい。」

 

きょうから待降節に入ります。待降節は主イエス・キリストの誕生を迎える準備をするときですが、同時に、主イエス・キリストの再臨を迎える心の準備をするときでもあります。今日のルカの福音は、イエス・キリストの第二の到来である再臨を告げています。

「そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。」(ルカ21:27)

わたしたちはミサのときに使徒信条で、「主は生者と死者を裁くために来られます」と唱えています。わたしたちは終末におけるキリストの再臨を信じています。

そのときに何が起こるかといえば、「天体が揺り動かされる」などの恐ろしいことが怒ります。

「太陽と月と星に徴が現れる。地上では海がどよめき荒れ狂うので、諸国の民は、なすすべを知らず、不安に陥る。人々は、この世界に何が起こるのかとおびえ、恐ろしさのあまり気を失うだろう。天体が揺り動かされるからである。」

終末に起こるこのような天体の徴はすでに旧約聖書で預言されています。

ペトロの手紙では、終末に起こるべき天変地異の様子が次のように述べられています。

「その日、天は激しい音をたてながら消えうせ、自然界の諸要素は熱に熔(と)け尽くし、地とそこで造り出されたものは暴かれてしまいます」(二ペトロ3・10 )

「その日、天は焼け崩れ、自然界の諸要素は燃え尽き、熔け去ることでしょう。」(二ペトロ3・12)

実に恐ろしい光景です。この世界と天体はすべて燃え尽きるのです。すべてのものは滅び去るということが強調されています。

そのときに、イエスは力と栄光を帯びて雲に乗って再臨し、最後の審判を行います。イエスが告げる神の国はこのイエスの再臨のときに完成します。イエスが王として支配するキリストの王国はそのときに完成します。

ペトロの手紙では次のように言われています。

「しかしわたしたちは、義の宿る新しい天と新しい地とを、神の約束に従って待ち望んでいるのです。」(二ペトロ3・13)

この世界の一切は滅び去るのです。ところがわたしたちはこの世のさまざまなことに心をとらわれて過ごしています。世と世にあるものはやがて過ぎ去ります。わたしたちは永遠の世界へ心をあげなければならないのです。イエスは言われました。

「放縦や深酒や生活の煩いで、心が鈍くならないように注意しなさい。」(ルカ21・34)

わたしたちの毎日はいろいろな日々の問題・課題で織り成されています。そうであっても、絶えず心を新しい天と新しい地の出現の希望へ向けて歩まなければならないのです。

だからといって、この世のことはどうでもいい、と言うわけではありません。教会はこの世に派遣され、この世において神の国の到来のしるしとなる、という使命を受けています。

わたしたちは、この世にありながらこの世の精神に染まらないで、永遠の世界を目指す生き方を示していかなければならないのです。

滅び去るはかないこの世にあって、永遠の意味と価値のある生き方、それは主イエスに従う生き方です。自分をむなしくしてささげる小さな務め、すなわちイエスが言われた「わたしの兄弟であるこの最も小さな者のひとり」のためになされた小さな務めは、永遠の世界に通じる価値をもっています。

これは、「新しい天と新しい地」として完成する世界において永遠の価値を与えられる行いである、と信じます。

「信仰年」にあたり、永遠の世界へ向かう信仰、希望、愛を深めてくださいますよう祈りましょう。