教区の歴史
福音宣教のためのミサ説教―アクション同志会・荘厳司教ミサ
2012年10月06日
2012年10月6日 東京カテドラル関口教会にて
第一朗読 イザヤ60・1-6
第二朗読 ローマ10・9-18
福音朗読 マタイ28・16-20
今日はご一緒に福音宣教のためにミサをおささげいたします。
明日、2012年10月7日から28日まで、ヴァチカンにおいて、「キリスト教信仰を伝えるための新しい福音宣教」をテーマとする第13回通常シノドス(世界代表司教会議)が開催されます。信仰の危機が懸念される状況において、「新しい表現、新しい方法、新しい熱意」によって福音宣教することを目指す、司教の代表者による会議であります。
福音宣教は教会の使命であり存在理由であります。教会は福音宣教のために設立され、福音宣教のために派遣され、福音宣教のために存在しています。
教皇パウロ六世は『Evangelii Nuntiandi』という使徒的勧告を発表し、社会と文化を福音化すること(evangelization)こそ教会の使命であると訴えました。それはこの世界をより福音の教えにかなった世界に変革することを意味しています。
今日の福音で復活した主イエスは弟子たちに言われました。
「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」(マタイ28・18-20)
この宣教命令のおかげでわたしたちはいまこの日本の地においてキリスト教信者になっています。
おりしも10月11日より「信仰年」が始まります。わたしたちは信仰年に当たり、自分の信仰を確かめ、信仰を深め、その信仰を人々に伝えていかなければなりません。
そのためにわたしたちがまずなすべきことは何であるか、といえば、それは「イエス・キリストをより深く知る」ということだと思います。
ヘブライ書はイエスを「信仰の創始者また完成者」(ヘブライ12・2)と呼んでいます。「創始者」は「指導者」と訳すこともできます。「信仰年」にあたり、「信仰の創始者また完成者」(ヘブライ12・2)であるイエス・キリストをより深く知るように務めることが何より大切です。(『信仰の門』13参照)
わたしたちは、イエス・キリストを信仰の対象と考えます。それは正しいことです。それと共に、信仰の先生、父への信仰に生き、信仰を貫いた方、十字架上で父から見捨てられたかのような孤独のなかで、父へのまったき委託のうちにその生涯を終えたナザレのイエスの生涯に学ばなければなりません。
イエス・キリストはわたしたちの信仰の最高の指導者です。ナザレのイエスは十字架の死によって父なる神への信仰を全うしました。福音書によって示された主イエスの生涯は「二千年に及ぶわたしたちの救いの歴史を特徴付ける信仰の模範」(『信仰の門』13)を完全に明らかにしています。主イエスの導きによって、主イエスの生涯によってわたしたちの信仰を学び深めるようにいたしましょう。
イエスの信仰に倣うために、いま誰にでもできる最も大切なことは福音書(とくに主日の福音朗読)によって、主イエスの信仰と生涯、生き方を学ぶことです。
ミサの主日の福音朗読を聖書朗読と一緒に学ぶようお勧めします。
主日の第一朗読は、多くの場合旧約聖書です。旧約聖書はイエス・キリスト以前の救いの歴史を述べ、救い主イエス・キリストの到来をあらかじめ指し示しています。
第二朗読は使徒パウロの手紙など、福音書以外の新約聖書からとられております。これは最初の教会の使徒たちがイエス・キリストの言葉と生涯をどのように理解していたのか、をわたしたちに説き起こしています。
説教は、主日の福音・聖書朗読の箇所と、わたしたちの日々の生活・現代社会とのつながりについて解き明かしながら、信者が日々信仰に生きるよう励まします。
さて信仰年は第二ヴァチカン公会議開催五十周年と『カトリック教会のカテキズム』発刊二十周年を記念して設けられました。この機会に、第二ヴァチカン公会議の教えを学ぶことをお勧めします。
まず公会議開催の趣旨を確認すると共に、公会議文書を学ぶようにしてください。公会議文書研修会の開催などが望ましいと考えます。特に、『教会憲章』、『現代世界憲章』などについての勉強が勧められます。各小教区・修道院、諸グループなどで、第二ヴァチカン公会議を学ぶ機会を設けていただきたいと思います。
『カトリック教会のカテキズム』は第二ヴァチカン公会議の教えに基づいて新たに編纂された、公会議によって刷新されたカトリック教会の教えを学ぶために有益な権威ある教えです。
『カトリック教会のカテキズム要約』をテキストに使用することもできます。公会議によって刷新された部分に注目する読み方も考えられます。カテキズムの勉強をお勧めします。(「『信仰年』を迎えるにあたり」岡田大司教の手紙を参照ください)