教区の歴史

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平和旬間千葉地区「平和を願うミサ」説教

2012年08月12日

 2012年8月12日 茂原教会にて

 

第一朗読 列王記上19・4-8

第二朗読 エフェソ4・30-5・2

福音朗読 ヨハネ6・41-51

 

(福音本文) 

ユダヤ人たちは、イエスが「わたしは天から降って来たパンである」と言われたので、イエスのことでつぶやき始め、こう言った。「これはヨセフの息子のイエスではないか。我々はその父も母も知っている。どうして今、『わたしは天から降って来た』などと言うのか。」

イエスは答えて言われた。

「つぶやき合うのはやめなさい。わたしをお遣わしになった父が引き寄せてくださらなければ、だれもわたしのもとへ来ることはできない。

わたしはその人を終わりの日に復活させる。預言者の書に、『彼らは皆、神によって教えられる』と書いてある。父から聞いて学んだ者は皆、わたしのもとに来る。

父を見た者は一人もいない。神のもとから来た者だけが父を見たのである。はっきり言っておく。信じる者は永遠の命を得ている。

わたしは命のパンである。あなたたちの先祖は荒れ野でマンナを食べたが、死んでしまった。しかし、これは、天から降って来たパンであり、これを食べる者は死なない。

わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。

わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」

 

ことしも平和旬間の主題(テーマ)は「平和を実現する人々は幸い」ですが、副題(サブテーマ)は「原発と核のない未来へ」となっています。

昨年の3月11日、東日本大震災が起こり、同時に福島第一原発事故が勃発しました。日本カトリック司教協議会は2011年11月8日、『今すぐに原発の廃止を』というメッセージを発表し、キリスト者として、即時、原子力発電所を廃止することを求める、強くはっきりした訴えを行いました。

原発は「核兵器」の問題と同じ本質を有しています。唯一の被爆国である日本の住民として、「核兵器も原子力発電所も核廃棄物もない平和で安心して暮らせる世界を残すことができますように(平和のための祈り2012)」と、わたしたちは祈り、そのように訴え、そのために力を合わせて戦うことを決意いたしましょう。

核兵器も原子力発電も人間が自分の都合のために、自分の安全と繁栄、利益、自分のより豊かで快適な生活のために保有し使用し享受しているものですが、キリスト者としてそれは神の御心に適うことでしょうか?

わたくしは、どうしても、創世記にでてくる「バベルの搭」を思い出してしまいます。人間は地上で繁栄すると、次第に思い上がり、傲慢になり、天に届くような塔を築こう企てました。核の乱用・悪用はまさに現代のバベルの搭ではないかと思います。

人間は被造物です。被造物は創造主の定めた理(ことわり)・秩序を守り従わなければなりません。

他方、人間は神の似姿として創られ、判断し決定し選択する自由を与えられています。人間はこの自由を乱用しました。戦争、核兵器、原発という悲劇は人間の自由の乱用の結果です。

また、人間も自然の一部であり、自然のおかげで生命を維持しているのです。自然を破壊する戦争、核兵器、原子力発電は、自己の都合を第一に考える人類のエゴイズム以外の何者でもないと思います。

さらにまた、世界の大国は、他国を上回る、よりパワーのある核兵器を所有することによって自己の安全と繁栄を図ろうとしてきました。これは自国の利益を優先し他国を支配し利用しようする帝国主義の姿勢であり考え方です。

主イエスは、人類はみな兄弟姉妹であることを教え、敵への愛を説き実行しました。

きょうのヨハネの福音でイエスは言われました。

「わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」

わたしたちは信者として、きょうもミサのなかで、御からだである御聖体をいただきます。御聖体をいただくということは、主イエスと一致し、主の命にあずかり、日々主イエスに、倣って歩むということを意味します。イエスは十字架上で自分を迫害するもののために祈り、すべての人々の救いのために命をささげました。平和の使徒となるためにはイエスの生涯に倣わなければなりません。

本日の「エフェソの教会への手紙」の教えを深く心に刻みましょう。

「あなたがたは・・・無慈悲、憤り、怒り、わめき、そしりなどすべてを、一切の悪意と一緒に捨てなさい。互いに親切にし、憐れみの心で接し、神がキリストによってあなたがたを赦してくださったように、赦し合いなさい。」(エフェソ4・31-32)

きょうはさらに、次の司教団メッセージの一節を心に留めていただきたいと思います。

「わたしたちキリスト者には、何よりも神から求められる生き方、つまり『単純質素な生活、祈りの精神、すべての人々に対する愛、とくに小さく貧しい人々への愛、従順、謙遜、離脱、自己犠牲』などによって、福音の真正なあかしを立てる務めがあります。」(パウロ六世教皇のことば、『今すぐに原発の廃止を』に引用した文章)