教区の歴史
松戸教会ミサ説教(年間第2主日)
2012年01月15日
2012年1月15日 松戸教会にて
第一朗読 サムエル上3・3b-10,19
第二朗読 一コリント6・13c-15a,17-20
福音朗読 ヨハネ1・35-42
年間第二主日の三つの聖書朗読に共通している主題は「召命」ということではないかと思います。神様の呼びかけを聞き、それに応える、ということがわたしたち信者の生き方の基本であります。
今日のヨハネの福音では、最初の弟子たち、ペトロ、アンデレ、ヨハネの召命が告げられています。
第一朗読はよく知られている、少年サムエルの美しい召命の話です。神は神殿で神にささげられた少年サムエルに呼びかけます。四度目の呼びかけに対してサムエルは祭司エリの言葉に従い、「どうぞお話ください。僕(しもべ)は聞いております」と答えました。
そしてサムエル記は続けて言います。「サムエルは成長していった。主は彼と共におられ、その言葉は一つたりとも地に落ちることはなかった。」(サムエル上3・19)
これはサムエルを通して告げられた預言の言葉はことごとく実現したと言う意味です。サムエルの召命は神の言葉を聞きそれを民に告げ知らせることでした。
また第二朗読でパウロは言います。
「みだらな行いを避けなさい。・・・あなたがたの体は、神からいただいた聖霊の宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。だから、自分の体で神の栄光を現しなさい。」(一コリント6・18-20)
パウロによれば、わたしたちの召命は「体で神の栄光を現す」ということです。では「体で神の栄光を現す」、どんなことでしょうか?この言葉の意味を深く黙想いたしましょう。
召命は個人の問題であるだけでなくわたしたち教会共同体の問題です。キリストの体であるわたしたち東京教区の召命は何であるのか、2012年の初めに当たり、ご一緒に考えてみましょう。
昨年2011年は東日本大震災の年であり、多くの人が苦しみを受け、わたしたち信者も自分たちの信仰が問われる思いがいたしました。
本年2012年は日本で宣教が再開されてからちょうど150年(日本再宣教150周年)です。また日本26聖人殉教者が列聖されて150年になります。
そして2012年は第2バチカン公会議開催50年周年の年であります。公会議開始の10月11日から『信仰の年』が始まるよう、ベネディクト16世教皇様がお定めになりました。
この『信仰年』にまずなすべきこと、それは信仰を深める、ということです。
四福音書を学びながらより深く主イエスを知るように努めましょう。
また使徒パウロの教えも深く学びたいと思います。
昨年3月11日に東日本大震災が起こって以来わたしは使徒パウロの次の言葉を何度も黙想してきました。
「(つまり、)被造物も、いつか滅びへの隷属から解放されて、神の子供たちの栄光に輝く自由にあずかれるからです。」(ローマ8・21)
わたしたちは解放、あがない、救いということを、人間を中心に考えてきました。しかし人間と他の被造物はつながっています。人類と被造物全体、宇宙全体の解放、あがない、救いということを学ばなければならないと思います。
教皇様は信仰年を迎えるにあたり、『カトリック教会のカテキズム』(2002年カトリック中央協議会発行)という要理の指導書を勉強するようにと強く勧めておられます。日本の司教協議会は『カトリック教会のカテキズム』に基づいて、日本の文化と状況に合わせた新しい要理の教え『カトリック教会の教え』(2003年カトリック中央協議会発行)を編纂し発行しました。合わせてこの本を是非勉強していただくようお願いいたします。
昨年は絆の年と言われました。わたしたちにとっては絆とはまず神様との絆、です。父と子と聖霊の三位の神様への信仰を深めることであります。
またわたしたちは自分の隣人との絆をもう一度見直す時ではないかと思います。知恵と勇気を出して、自分の家族・隣人のことをもう一度思い起こし、絆を確かめ、心を開くようにしたいと思います。
そしてまたこの社会の中で、病気・障がい・孤独などで苦しんでいらっしゃる方とのつながりを大切にするよう努めたいと思います。
わたくしがこどもの頃に言われていた言葉を思い出します。山本有三という作家の言われた「心に太陽を持て」という言葉です。わたしたちキリスト信者にとって「心に太陽を持つ」とは、イエス・キリストの復活の光を心に受け、その復活の光をともし、日本の人々へ希望を伝えることではないでしょうか。
日本の社会にも暗闇があります。わたしたちは小さな存在ですが、その暗闇の中に、一人一人が明かりをともし、人々に勇気と希望を与えることができますよう、聖霊の導きを切にお願いいたしましょう。
皆さんどうか今年も宜しくお願いいたします。