教区の歴史
港・品川宣教協力体合同堅信式説教(年間第30主日)
2011年10月23日
2011年10月23日 年間第30主日 麻布教会にて
第一朗読 出エジプト22・20-26
第二朗読 一テサロニケ1・5c-10
福音朗読 マタイ22・34-40
「一人に律法の専門家が、イエスを試そうとして尋ねた。『先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。』」(マタイ22・35)
イエスの時代、律法には613の掟が含まれていた、と言われています。その中でどの掟がもっとも大切か、という論争が当時行われておりました。イエスは申命記6章5節を引用して答えました。
「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。」
これはシェマーの祈りとしてユダヤ人が日々唱えていた大切な祈りでした。
ところでイエスはさらに続けて言われたのです。
「第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』(レビ19・18)律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」(マタイ22・39)
イエスは神への愛と隣人への愛は不可分である、と宣言したのです。
真に神を愛しているなら、隣人を愛するはずです。ヨハネの手紙で次のように言われています。
「『神を愛している』と言いながら兄弟を憎むものがいれば、それは偽り者です。目に見える兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することができません。神を愛する人は、兄弟をも愛すべきです。」(一ヨハネ4・20-21)
今日の第一朗読出エジプト記では
「寄留者を虐待したり、圧迫してはならない」「寡婦や孤児はすべて苦しめてはならない」(出エジプト22・20,21)
とあります。また、神は旧約の預言者イザヤを通していわれました。
「お前たちのささげる多くのいけにえがわたしにとって何になるだろうか。」「雄羊(おひつじ)や肥えた獣の脂肪の献げ物にわたしは飽いた。」(イザヤ1・11)、「悪い行いをわたしの目の前から取り除け。悪を行うことをやめ、善を行うことを学び、裁きをどこまでも実行して、搾取する者を懲らし、孤児の権利を守り、やもめの訴えを弁護せよ。」(イザヤ1・16-17)
神を礼拝し神にいけにえをささげる人が弱い立場の人々を圧迫するのは大きな矛盾であります。
聖パウロは教えています。
「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな」、そのほかどんな掟があっても、「隣人を自分のように愛しなさい」と言う言葉に要約されます。愛は隣人に悪を行いません。だから、愛は律法を全うするものです。(ローマ13・9-10)
またイエスは言われました。
「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたが人にしなさい。」(マタイ7・12)
神を愛することと、隣人を愛することは一致しなければなりません。
それでは自分を愛する、と言うことについてはどうでしょうか?イエスは、「隣人を自分のように愛しなさい」といわれたのです。
自分を愛するとは自分の思い通りにすることではありません。自分の願い、欲望どおりに振舞うことでもありません。自分を愛するとは自分を大切にすることです。それではどうすれば自分を大切にすることができるでしょうか?
「自分を大切にする」とは、ほかの人とのかかわりの中で学ぶことです。わたしたちが今あるのは、両親をはじめとする多くのかたがたのおかげです。多くのかたがたがわたしたちを大切に育ててくださいました。そのためには多くのご苦労があったに違いありません。そのおかげでわたしたちは「人のために尽くす」ということを学びました。自分を大切にするとは、ほかの人のために自制する、自分をコントロールする、ということでなければなりません。
主イエスは言われました。「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。」(ヨハネ15・12)
自分が大切にされてはじめて自分の価値を自覚し、さらに人を大切にすることができるようになります。「互いに愛し合う」とは何より主イエスに学ぶことです。
日本では13年間連続して3万人以上の人が自死を遂げています。多くの場合自分自身に生きる価値を見出しにくくなっての結果ではないか、と推察しています。自分を大切にするとは、自分の価値を認めるということです。そしてそれは神様の前にわたしたちが自分に価値を認め、神様の呼びかけに応えて生きる、ということに他なりません。
わたしはきょう堅信を受けられる皆さんに、とくに次の聖書の言葉を送りたいと思います。
あなたは存在するものすべてを愛し、
お造りになったものを何一つ嫌われない。
憎んでおられるのなら、造られなかったはずだ。
あなたがお望みにならないのに存続し、
あなたが呼び出されないのに存在するものが
果たしてあるだろうか。
命を愛される主よ、すべてはあなたのもの、
あなたはすべてをいとおしまれる。(知恵の書11・24-26)
堅信を受ける皆さんにお願いします。まず自分自身が神様の前にかけがえのない、価値のある人間であることを深く悟ってください。そして次に、日々出会う人々に、その人もかけがえのない、価値ある人であることを知らせるよう努力してください。