教区の歴史
朗読奉仕者・祭壇奉仕者選任式説教
2011年02月27日
2011年2月27日 東京カテドラル聖マリア大聖堂にて
祭壇奉仕者
アッシジのフランシスコ 古郡忠夫(東京教区)
使徒ヨハネ 森 一幸(東京教区)
アロイジオ 大西崇生(イエズス会)
朗読奉仕者
ヨセフ Nguen, Than Nha(イエズス会)
洗礼者ヨハネ Han, Duc Dinh(イエズス会)
オベディエンティア 村山兵衛(イエズス会)
マクシミリアノ・コルベ 長崎 壮(クラレチアン宣教会)
第一朗読 イザヤの預言(イザヤ55・1—11)
第二朗読 使徒パウロのコリントの教会への手紙(Ⅰコリント11・23-26)
福音朗読 ヨハネによる福音(ヨハネ6・41-51a)
今日の第一朗読はイザヤの預言からとられました。
「わたしの口から出るわたしの言葉も、むなしくは、わたしのもとには戻らない。それはわたしの望むことを成し遂げ、わたしが与える使命を必ず果たす。」
神の言葉には力があり、その言葉が指し示す現実を必ず実現する、という意味です。
第二朗読はⅠコリントです。
「これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。」
「この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、わたしの記念としてこのように行いなさい。」
ミサのときに司祭が唱える聖別の言葉によって、パンはキリストの御体になり、ぶどう酒はキリストの御血となります。司祭の口を通して告げられる言葉が指し示す現実が実現するとわたしたちは信じます。
朗読奉仕者となる皆さん、あなたがたはこの神の言葉、主イエスの言葉を堅く信じる者として、神の言葉に奉仕し、神の言葉を伝える奉仕者となります。
あなたがたは自分の口から出る言葉を大切にしてください。人は言葉で人を助け励ましまた言葉で人を傷つけたり過ちを犯したりします。
キリスト教には十戒がありますが、仏教には十善戒という戒めがあります。
この十の戒めの中で、四つが言葉に関するものであります。
・不妄語(ふもうご)。これはうそをついてはいけない、正直に話そう。
・不綺語(ふきご)。無意味なおしゃべりをやめよう。逆に言えばよく考えて話そう。
・不悪口(ふあっく)。わるくち、汚いことば、乱暴なことばを使わないように。美しい言葉、優しい言葉を話そう。
・不両舌(ふりょうぜつ)。二枚舌はいけない。人の仲を裂く言葉は使わない、言い換えれば思いやりのある言葉を話そう、という意味です。
言葉を使って生活し、仕事をしているわたくしたちはこの四つ言葉に関する戒めを大切にしなければならない、と思います。
ヤコブの手紙の中で次のように言われています。
「言葉で過ちを犯さないなら、それは自分を完全に制御できる完全な人です。」(3・2)
あなたがたは日々神の言葉を黙想し、キリストの言葉を学び、深く信じ、信じたことを教え、教えたことを実行するように心がけてください。あなた方の口から出る日々の言葉が神の誠実さを現し伝えるものとなるよう、よく祈りよく努めてください。自分の言葉に責任を取る人となってください。
今日の福音でイエスは言われました。
「わたしは天から降ってきたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。」
天から降ったパンであるご聖体をいただくものは永遠に生きるとイエスは言われました。
祭壇奉仕者となる皆さん、
皆さんは祭壇で主に仕え、すべての人を主の食卓へ招き、すべての人が主キリストの御体において一つの体になるよう招く、という尊い使命を受けます。
現代社会は「無縁社会」とも呼ばれています。血縁、地縁、社縁が弱くなり、あるいは壊れてしまった社会のなかで人々は生きる力をそがれ、孤立し、孤独に苦しんでいます。神の愛において結ばれる新しい神の家族を建設することがわたしたち教会の務めではないかとわたしは考えています。
日々の出会いの中でわたしたちは一人ひとりの人間の尊厳を大切にし、神の愛において互いに強く結ばれるよう務め祈りたいと思います。
神様がこの決意を強め励まし、実行に移す力を与えてくださいますよう祈りましょう。