教区の歴史
年間第2主日ミサ・堅信式説教
2011年01月16日
2011年1月16日 木更津教会にて
第一朗読 イザヤの預言(イザヤ49・3,5-6)
第二朗読 使徒パウロのコリントの教会への手紙(二コリント1・1-3)
福音朗読 ヨハネによる福音(ヨハネ1・29-34)
今日の第一朗読のイザヤ書では主の僕の歌が告げられます。
「主は・・・わたしに言われた。
あなたはわたしの僕、イスラエル
あなたによってわたしの輝きは現れる、と。
(略)
主の御目にわたしは重んじられている。
わたしの神こそ、わたしの力。
(略)
だがそれにもまして、わたしはあなたを国々の光とし
わたしの救いを地の果てまでもたらす者とする。」
この箇所はちょうど3年前、アドルフォ・ニコラス神父様がイエズス会の総会長に選出された翌日の主日の朗読箇所でした。ニコラス神父は説教で、
「主の僕 主の御目にわたしは重んじられている。
わたしの神こそ、わたしの力」
を引用し、自分の任務の遂行について語りました。
イエズス会の使命は、貧しい人々、虐げられた人々、疎外されている人々に仕えること。その際、政治、ビジネス、メディア、学問、肩書きなどの自分の力、能力、知識、権力などに頼らず、ただ神にだけ頼んで働く。わたしたちの力の源泉はわたしの神にある。・・このように語られました。
この主の僕の姿が今日の福音のイエスの姿に重なります。
今日のヨハネの福音は洗礼者ヨハネの証言
「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」
を伝えています。洗礼者ヨハネは言いました。
「霊が鳩のように天から降って、この方の上に留まるのを見た。」
イエスはこのときに初めて聖霊を受けたのではありません。聖霊はイエス御自身の霊でした。イエスはわたしたち人類のために人間として洗礼を受け、聖霊を受けたのです。聖霊に満たされたイエスの生涯の働きに倣うことによって、教会は自分の使命を果たさなければなりません。
主の僕とイエスに倣う東京教区の今年の歩みはどのようであるべきでしょうか?
わたしは「いのち」と「こころ」という二つの言葉を中心に東京教区の使命を考えたいと思います。
10年前に日本の司教団は『いのちへのまなざし』というメッセージを出しました。不安と悲しみの多いこの社会に向かって、信仰に基づいて、いのちの尊さを訴えたメッセージです。是非皆さんにこの本を勉強して頂き、一人ひとりのいのちが大切にされる社会をつくるためにどうしたらいいのか、考え祈っていただきたいのです。
是非呼んでいただきたいもう一冊の司教団の文書があります。カリタスジャパン啓発部会から出された『自死の現実を見つめて』という冊子です。連続13年間3万人もの人が自死を遂げています。現代は「無縁社会」と呼ばれ、多くの人が孤立し孤独に苦しんでいます。わたしたちは神に祈りながら、人と人の心をつなぐ神の家族を築き広げて生きたいと望んでいます。
今日は6人の方が堅信を受けられます。
聖霊の助けを受けて、新しい神の家族をつくるためにこの6人の方が力を尽くすことができますよう、祈ります。