教区の歴史
神の母聖マリア・世界平和の日説教
2011年01月01日
2011年1月1日 東京カテドラル聖マリア大聖堂にて
第一朗読 民数記(民数記6・22-27)
第二朗読 使徒パウロのガラテヤの教会への手紙(ガラテヤ4・4-7)
福音朗読 ルカによる福音(ルカ2・16-21)
皆さん、あけましておめでとうございます。
1.新しい年を迎えた今日正月元旦、わたくしは、創造主なる神様の恵みに心から感謝をささげたいと思います。
神は日々この世界を創造しています。2011年という年を今日わたしたちに下さいました。
長崎の大司教であった島本要(しまもと・かなめ)大司教様が言ったおられたことを思い出します。
「神の母聖マリアの日を創造主なる神への感謝と賛美の日と定めるよう提案したい。」
当時はその提案の意味をあまり理解できませんでした、最近、その意味を実感するようになりました。
すべての被造物が完全に神様の平和に満たされる日が早く来ますようにと祈りましょう。
ちなみに昨年2010年の教皇様の平和メッセージは「平和を築くことを望むなら、被造物を守りなさい」でありました。
2.さて今日の福音では「マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた」と述べられています。マリア様はイエス様の誕生の出来事の意味を黙想しておられました。
同じような場面が12歳の少年イエスの出来事のときにも出てきます。
「母はこれらのことをすべて心に納めていた。」(ルカ2・51)
マリア様の生涯は、神の言葉を聴き、その意味を問い、また自分の身の上に起こった出来事の意味を問い、思い巡らして過ごした生涯ではなかったかと思います。わたしたちの日々、神の言葉と出来事を思い巡らしながら、この年、小さな努力を重ねて行きたいと思います。
3.世界平和の日を迎え、今日は平和について静かに思い巡らし、祈りをささげましょう。
2011年の世界平和の日教皇様のメッセージは「平和への道としての信教の自由」であります。現在でも多くのキリスト教徒が信仰のために迫害を受け、恐怖の中に置かれています。
教皇様は、「このような状況は受け入れがたいものです。なぜなら、それは神と人間を冒涜するからです。さらにそれは、安全と平和を脅かし、真の完全な人間的発展を妨げるからです」と言われました。
信仰の自由は人間の基本的な権利です。それは神がお造りになった人間の尊厳に由来します。
この世界には多くの宗教が存在します。また同じキリスト教信者であっても、種々の教会・教派に分かれています。わたしたちの信じる唯一の神は強制的にキリスト教を信じるようにはなさらないのです。神は人間を自由な判断と決断のできる主体として創造されました。もし人間の心の自由を否定するならば、神が自分の創造の働きを否定することになり、ひいては神が自分自身を否定することになってしまうのではないでしょうか。
人の信仰を尊重するということは、人の信仰をそのまま肯定し受け入れるということではありません。自分の信仰を大切に守らなければなりません。そのためには、自分が何をどう信じているのか、しっかりと説明できなければなりません。
ではあなたは真理をどのように信じ実行していますか?
新しい年を迎えた今、自分自身の信仰を自分の言葉と行いで明らかにできるよう、信仰の学びを行なう決意を新たにいたしましょう。
4.わたくしはまた、正月元旦にあたり、病気で苦しんでいる方々、とくに病気の司祭のことを思います。
主が病気の人々に慰めを与え、また病苦に耐える力を与えてくださいますように。
特に孤独の中で病苦と闘う人々に、家族・隣人からの暖かい励ましがありますように。
「孤独死」「無縁死」ということが言われています。どうかわたしたちが温かい心のつながりを築くことができますように。
わたしは今年の年賀状に次の祈りを紹介しました。
今同じその祈りをお伝えして説教の結びといたします。
静けさの祈り(Serenity Prayer)/ラインホールド・ニーバー
神さま、わたしにお与えください、
変えられないものを受け入れる心の静けさを、
変えられるものを変える勇気を、
そしてその二つを見分ける知恵を。