教区の歴史

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待降節第四主日説教

2010年12月19日

2010年12月19日 10:00 鴨川教会にて

14:00 館山教会にて

 

第一朗読 イザヤの預言(7・10-14)

第二朗読 使徒パウロのローマの教会への手紙(1・1-7)

福音朗読 マタイによる福音(1・18-24)

 

本日の、各年共通用の公式祈願の集会祈願は次のとおりでした。(聖書と典礼8ページ参照)

「恵み豊かな父よ、わたしたちの心にいつくしみを注いでください。みことばが人となられたことを信仰によって知ったわたしたちが、御子の苦しみと死を通して復活の栄光にあずかることができますように。」(聖霊の交わりに中で・・・は省略)

お告げの祈りでは朝昼晩と一日三度にわたり、わたしたちはマリア様に祈ります。かつての文語でのお告げの祈りは、次の「祈願」で結ばれておりました。

祈願 主よ、われら天使の告げを以って、御子キリストの御託身を知りたれば、願わくはその御苦難と十字架とによりて、ついに御復活の栄えに達するを得んため、われらの心に聖寵を注ぎ給え。われらの主キリストによって願い奉る。アーメン。

 

この祈りは本日の集会祈願と同じです。大分前のことですが、ある時わたくしは、口語と文語の違いがあっても内容は同じであることに気がつきました。

念のためラテン語のお告げの祈りの結びの祈りと比べてみました。やはり、実はお告げの祈りの結びの祈願は待降節第4主日の集会祈願と同じです。

お告げの祈りは、マリア様が天使にお告げを受けて、

「おことばどおりになりますように」

とお答えになられた、このマリア様の深い信仰を黙想する祈りです。

聖霊によって救い主の母になる、というお告げを信じて受け入れることは大変なことです。誰が聖霊によって懐胎したと信じるでしょうか?当時は、夫でない人の子を宿せば、石殺しの刑にあわなければならないという厳しい掟がありました。聖霊によって救い主の母となるという神秘をどうして婚約者のヨセフに理解してもらえるだろうか、とマリア様思ったことでしょう。でも神様にはできないことはない、と告げられてマリア様は、

「おことばどおりになりますように」

と答えられたのです。まさに命がけの応答でした。

この「なりますように」(ラテン語でフィアット)というマリア様のおことばを皆さんは、よくご存知です。今日は聖ヨセフの信仰をご一緒に黙想したいと思います。

婚約者のヨセフはさぞ苦しみ悩んだことでしょう。

聖ヨセフは夢の中でお告げを受けました。

「ダビデの子ヨセフ、恐れずに妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。・・・」

ヨセフはこのお告げを信じてマリア様を受け入れました。夢の中でのお告げを信じることも大変なことだと思います。

マリア様の信仰、ヨセフ様の信仰、そしてお二人の間の信頼により、イエズス様がお生まれになり、聖家族が誕生しました。

現代の日本社会の大きな問題は家庭・家族の問題であるとわたくしは思います。家族の間の結びが弱く、信頼関係も弱い・・・家族で助け合い支えあうことが難しくなっています。今こそ聖家族の模範に倣うべきときではないでしょうか。

この機会に、地味な存在である夫、父としての聖ヨセフの存在に皆さんの目を向けてください。

ヨセフはベネディクト16世教皇様のお名前です。

聖ヨセフのように誠実に信仰深く、家庭を大切にして生きていくことができますよう、祈りましょう。

なおご存知のように日本カトリック司教団は「聖母への祈り」(かつての天使祝詞)を改定して、「アヴェ・マリアの祈り」とすることになりました。12月8日、無原罪の聖マリアの日に文案を発表しました。この文案をどう思いますか?

特に「罪深いわたしたちのために」のところですが、読み方が「つみふかい」がいいのか、「つみぶかい」がいいのか?ご意見を伺いたいと思います。

 

>>>「アヴェ・マリアの祈り」試用と意見提出のお願い(中央協議会)