教区の歴史
平和旬間 東京カテドラル 平和を願うミサ説教
2010年08月14日
2010年8月14日 東京カテドラル聖マリア大聖堂にて
聖書朗読 知恵の書11・23-26
福音朗読 ヨハネによる福音20・19-23
2010年の東京教区の平和旬間のテーマは「平和を実現する人々は、幸いである」そしてサブテーマは「非暴力による平和」です。
今日のミサの聖書朗読のために知恵の書を選びました。
あなたは存在するものすべてを愛し、
お造りになったものを何一つ嫌われない。
憎んでおられるのなら、造られなかったはずだ。
あなたがお望みにならないのに存続し、
あなたが呼び出されないのに存在するものが
果たしてあるだろうか。
命を愛される主よ、すべてはあなたのもの、
あなたはすべてをいとおしまれる。
わたくしは今日、平和について考えるにあたり、この聖書の教えを出発点に置きたいと思います。
この世界と人類は神が創造された作品です。神はこの自然と人間を大切に思っています。
この神の愛にそむく大きな悪が戦争です。戦争は神の愛に背く人間の悪です。自然を破壊し人間の命を奪う大きな悪です。戦争は神の御心に反する大きな悪です。1981年日本を訪問されたヨハネ・パウロ2世教皇は
「戦争は人間の仕業です」
と断言されました。
平和とはまず戦争がないこと、戦争を行わないこと、戦争をなくすことです。日本国憲法9条は非暴力によって平和を実現する決意を表明しています。
「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。(1項)
前項の目的を達するため、陸海空その他の戦力は、これを保持しない、国の交戦権は、これを認めない。(2項)
2005年に日本の司教団が発表した平和旬間のメッセージ「戦後60年平和メッセージ『非暴力による平和への道』~今こそ預言者の役割を」は日本国憲法9条を高く評価して言っています。
「非暴力の精神は憲法9条の中で、国際紛争を解決する手段としての戦争の放棄、および戦力の不保持という形で掲げられていいます。60年にわたって戦争で誰も殺さず、誰も殺されなかったという日本における歴史的事実はわたしたちの誇りとするところではないでしょうか。」
確かに9条は優れてキリスト教的規範であり、日本国の誇りとするところであります。
ところで平和とは単に戦争がない、争いがないという状態ではありません。先ほど麹町教会でお話された落合恵子さんは「戦争がなくとも、差別、抑圧、虐待などがある限り平和があるとは言えない」と断言しました。神の被造物が神の恵みを豊かに受けて創造の目的を豊かに享受している状態であります。人間の命が大切にされ自然が大切にされているのでなければ平和はありません。
わたしは今日も、今の日本の社会に存在する驚くべき事実に皆さんの注意を向けたいと思います。
その事実とは、日本では12年連続して自死者3万人もいるということです。追い詰められて死に至る人が3万人、という事実は12年間続いているのです。3万人もの自死者の周囲には、多数のご家族(自死遺族)、友人、関係者がいます。その人たちの悲しみ、痛み、歎き、衝撃は如何ばかりでしょうか!未遂者の数は10倍とも言われています。このような社会が平和といえるでしょうか?
日本は国家による戦争はしませんでした、しかしこの社会には、生存競争という熾烈な戦争があるのではないでしょうか?
自死の原因・理由は、貧困、病気などがあげられますが、種々の要素が複合的に働いているとも考えられます。今の社会はいわば戦場のようなもの、人生の競争のなかで力を奪われ、生きがいを失い、孤独になって死を選ぶように追い詰められます。自死者の心には孤独、挫折、絶望の気持ちがあるのではないでしょうか。落合恵子さんも「“血縁”より“結縁”が大切だ」と言われました。
今年生誕100周年を迎えたマザー・テレサが日本を訪れたときに言われたという言葉が思い出されます。
「人間の苦しみのなかで、人から必要とされないという苦しみは最も大きな苦しみです。」人は他の人とのつながりのなかで人として生きることができるのです。
イエスは、父なる神の愛を弟子たちに示しました。人類を罪からあがない、被造物に解放をもたらすために、イエスは十字架にかかったのでした。
キリスト教のメッセージは、「神は愛、神はひとり一人を愛し、必要としている、イエスの生涯は父の愛のあかし、だからあなた方も互いに愛し合いなさい」に尽きるのではないか、と思います。
復活したイエスは弟子たちに聖霊を注ぎ、教会を設立しました。わたしたちの東京教区は聖霊を受けた神の民です。わたしたちの使命は、現代の砂漠・荒れ野とでもいうべきこの首都圏において神の愛をあかしすることです。わたしたち東京教区の使命は、この砂漠のような現代社会の中で、ひとり一人がかけがえのなく、いとおしい存在であることを固く信じ、そのように生きて、神の愛を示し伝えていくことだと思います。そうすることが平和を実現することであるとわたくしは信じます。