教区の歴史
平和旬間 千葉北東部宣教協力体 平和を願うミサ説教
2010年08月08日
2010年8月8日 成田教会にて
第一朗読 イザヤの預言7・15-19
第ニ朗読 使徒パウロのフィリピの教会への手紙4・6-9
福音朗読 マタイによる福音5・1―12
今年の平和旬間のテーマは「平和を実現する人々は幸い」、サブテーマは「非暴力による平和」です。「非暴力による平和」は5年前の2005年、戦後60周年にあたり司教団が出したメッセージのタイトルです。
今年は千葉北東部宣教協力体主催で、ここ成田教会において「平和を願うミサ」を捧げることになりました。これは大変意義深く、喜ばしいことです。
8月15日は聖母被昇天の日、第2次世界大戦終結の日であります。韓国ではこの日を光復節と呼んでいます。光を見た日、という意味だそうです。35年にわたる日本による圧制から解放された日、ということです。
1910年、韓国は日本に併合されました。今年は日韓併合100周年にあたり、いろいろな行事が行なわれています。
今日は韓国についてのわたしの体験をお話ししたいと思います。
わたくしは太平洋戦争の始まった1941年、昭和16年に千葉県市原市で生まれました。
1975年、ローマに留学し、そこで住んだ学寮(コレッジオ)では韓国の司祭たちと一緒に生活しました。ある日の夕食のとき、同じ食卓にいた韓国人の司祭が急に興奮し、わたくしに向かって激しい怒りをぶつけてきました。わたくしは何がなんだか分かりませんでしたが、冷静に話を聞いてみると、韓国人の司祭たちは同じ食卓で「竹島」の領有問題を話し合っていたらしいのです。そして目の前に日本人司祭がいたので憤りを抑えることができなくなってしまったのです。でもこの事件をきっかけにわたしたちは仲良くなりました。
1995年、フィリピンでアジア司教協議会連盟総会が開かれ、教皇ヨハネ・パウロ2世も出席され、日本からは故濱尾文郎枢機卿(当時は司教)他が参加しました。わたくしも参加司教の1人でした。その機会に韓国・テグのイ・ムンヒ大司教と濱尾司教との歴史的出会いがありました。両者は両国の歴史教育の問題を話し合い、共通の歴史認識を育てるために両国の司教の出会いの場を設けることで意見が一致しました。1996年に第1回日韓司教交流会が中央協議会・カトリック会館で開催されました。日本からの参加司教は濱尾と岡田の二名、韓国からはイ大司教を含めて3名でした。以来毎年一回の交流と懇親の機会が持たれ、参加する司教は増え、ほとんど全員の司教の参加となっています。二人の司教の出会いがきっかけですが今は大きな集まりに成長しています。
東京教区では現在、東京韓人教会と関口教会が東京カテドラルの大聖堂をシェアしています。現在の関係は大変良好です。
平和のためにわたしたちは何をしなければならないでしょうか?何ができるでしょうか?
韓国の教会と日本の教会の和解は「出会い」によって始まりました。同じ人間として相手の苦しみ悲しみへの共感を持つことから和解が始まります。また同じ神を信じる者として共に祈ることから平和のための働きが始まります。
「平和を実現する人々は幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる。」
平和のために働くためには、心の平和が必要です。思い煩い、怒り、敵意を捨てることができますよう祈りましょう。パウロは言っています。
「無慈悲、憤り、怒り、わめき、そしりなどすべてを、一切の悪意と一緒に捨てなさい。互いに親切にし、憐れみの心で接し、神がキリストによってあなたがたを赦してくださったように、あなたがたも互いに赦し合いなさい」(エフェソ4・31-32)
今日の第2朗読でもパウロは教えます。
「兄弟たち、すべて真実なこと、すべて名誉なことを、また、徳や称賛に値することがあれば、それを心に留めなさい。」(フィリッピ4・8)
平和の神が聖霊によって主の平和という賜物を送ってくださるよう祈りましょう。