教区の歴史
東京教区アレルヤ会霊名の祝い会ミサ説教
2010年06月30日
2010年6月30日 ケルンホールにて
今日の使徒聖ペトロ・聖パウロのお祝いにご参加いただきまして、ありがとうございます。
「あなたはいわお、その上にわたしの教会を建てよう。地獄の門の上に立つことはできない。」今、アレルヤ唱で、唱えたところです。
昨日、ここ、カテドラルで神父様たちがたくさん集まり、同じように使徒聖ペトロ・聖パウロのミサが捧げられました。そして当然ですが、同じ聖書の個所が読まれまして、わたしが説教をしました。説教のテーマは次の言葉についてでした。
「あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。」(マタイ16:18)
特に、陰府の力もこれに対抗できないということについてわたしの感想と祈りをお話しいたしました。ペトロは今のヴァチカンの地で、逆さ十字架にかかって殉教したと伝えられています。ペトロの殉教の地が今の聖ペトロ大聖堂ということであります。ペトロは最初のローマの司教で、あとペトロの次の後継者が同じようにローマの司教になって、そしてめんめんと続いているわけです。
第一奉献文(公会議の前はこの奉献文しかなかったのです)には聖人の名前がたくさん出てまいりました。まずマリア様、それからその浄配聖ヨセフ、聖なる使徒と殉教者、使徒と殉教者の代表者が読み上げられておりました。ペトロとパウロ、アンデレ、ヤコブ、ヨハネと十二使徒と続いて、リノ、クレト、クレメンス、シスト、コルネリオ、チブリアノ、ラウレンチオと続いていたのですが、これはローマの司教の後継者たちとローマで殉教した人たちだと思います。ペトロに向かってイエスは、「地獄の門もこれに勝つことはできない」と言われました。この個所をカトリック教会では、非常に大切にし、この個所を理由としてペトロを重要な人物であったということを説いてきたわけです。ペトロは使徒たちの中の頭、第一の位置にいる者です。ですからそのペトロの後継者であるローマの司教は全世界の教会の一番上にいる最高の指導者とされています。そして地獄の門もこれに勝つことができない、ということですから、いろいろな問題があってもいろいろな困難があっても、悪の力に、負けることはない。そしてペトロの後継者は信仰についての基本的な教えについて間違えることはない、という考えを主張してきたわけです。後にこの考え方はもっと厳密に定義されて、教皇の首位権、不可謬権といわれています。
わたしは1963年の12月にクリスマスにカトリック信者になりました。なったという言い方は、今日は「転会」と言うようですけれども、プロテスタントから改宗しました。その際、「カトリック教会が、正しい教会である」という理論を勉強しました。その理論の中心にペトロがいます。ですから自分の洗礼名・霊名を、ペトロにして下さい、とお願いしてペトロになったわけです。
さて司祭になってからもっと勉強しなさいということになり、教皇様がお住まいのローマのヴァチカンの近くにある宣教地の教会のための学院(コレジオ)に住んで勉強させていただきました。その時の教皇様はパウロ6世という方だったのですが、わたしがいる間にお亡くなりになって、ヨハネ・パウロ1世という方が教皇に選出されました。しかし、1ヶ月ちょっとでお亡くなりになりました。それでまたコンクラーベ、教皇選出が行われてヨハネ・パウロ2世が選出されました。50代の若い元気なポーランドの人でした。5年前に亡くなられ、今のベネディクト16世が選ばれてこの間5周年を迎えられました。教皇様は全世界のカトリック教会を牧する方、指導する方で、ご苦労が非常に多いと思います。昨日集まった皆さんに、わたしたちの指導者である教皇様のためにお祈りしましょう、とお願いしました。さらにまた申し上げたことがあります。それは、教皇様と教皇庁には、日本の社会、日本の教会の状況をよく理解していただく必要がある、といくことです。
ところで4人の教皇様のなかで、1ヶ月あまりで亡くなられた教皇ヨハネ・パウロ1世のことが強く印象に残っています。ベネツィアの総大司教アルビノ・ルチアニ枢機卿が教皇に選ばれるまでは、教皇というのはヨーロッパの王侯貴族の上に君臨する存在とも考えられていたました。教皇に就任する時に戴冠式があり、三重冠(チアラ)を頭に受けていましたが、ヨハネ・パウロ一世はこの戴冠式をやめたのです。それで何人かの人が担ぐ輿に乗って担がれて民衆・信者の前に現れて輿の上から祝福するということが行われていました。やはりよく見えるようにしたためでしょう。それもやめたのです。それから自分のことを日本語で言えば朕に該当する「ノイ」という一人称の複数の表現もやめました。皇帝から庶民に戻られたペトロの後継者であります。「微笑の教皇」と言われていますが、そういう教皇様がいたということです。教会は様々な試練の中におかれています。今でもいろいろな問題がありますが、「地獄の門もこれに勝つことはできない」というイエス様の言葉を信頼し、教皇様のためにお祈りしたいと思います。