教区の歴史
東京韓人教会訪問ミサ説教
2010年04月25日
2010年4月25日 復活節第4主日
東京カテドラル聖マリア大聖堂にて
フランシスコ・ザビエル金神父様と東京韓人教会の皆様、主キリストのご復活おめでとうございます。今日、金神父様とご一緒にミサ聖祭をささげることができますことは、わたくしにとって喜びであり励ましでもあります。
復活節第4主日の福音は毎年ヨハネの福音10章の、羊飼いと羊のたとえが読まれます。
イエスは言われました。「わたしはよい羊飼いである。よい羊飼いは羊のために命を捨てる。」(11節)、また言われます。「わたしは彼らに永遠の命を与える。」(28節)
よい羊飼いの使命は羊に永遠の命を与えることであり、そのために自分の命を捨てます。わたしたち牧者である司祭、司教は、イエスに従って生き、自分の羊のために命をささげる、という召命を受けました。今日は「世界召命祈願の日」です。今日わたしたち信者はそれぞれ自分の召命をよく果たすことができますよう、祈りましょう。
イエスは、「よい羊飼いは羊のために命を捨てる」(11節)と言われ、また「わたしは彼らに永遠の命を与える」(28節)と言われました。「命を捨てる」の「命」と、「永遠の命」の「命」は同じことばに翻訳されていますが、原文のギリシャ語ではもともと違うことばです。「命を捨てる」の「命」は地上を生きる命、今息をして生きている人間の生命をさします。ギリシャ語ではプシュケーです。他方「永遠の命」の「命」はギリシャ語のゾエーです。神の命、神の霊を受けて神と共にある命、キリストの復活にあずかることを意味しています。ヨハネの福音は何度も「永遠の命」について語ります。
「永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです。」(17・3)
「知る」とは深い親しい交わりを意味します。よい羊飼いと羊の間には「知る」という関係がなければなりません。イエス・キリストを知るとは、イエスを信じ、イエスに信頼し、聞き従い、イエスの後に従ってついて行くことです。
「世界召命祈願の日」にあたり、教皇ベネディクト16世は、召命をよく生きるためには「キリストとの親しさ」が大切であり、「神との親しさ」を深めるためにはまず祈りが大切である、と教えています。
イエスはまた言われました。
「自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。」(12・25)
ここでいう「自分の命」はプシュケーの命、地上の命ですが、「永遠の命」はゾエーの命です。「自分の命を憎む」という表現は、自分の命を粗末にしてもいい、という意味ではありません。自分の満足より神の御心を行なうことを優先しなさい、ということです。神様からいただいた命を大切にし、神様の御心にしたがって自分の命をおささげいたしましょう。
今の日本の社会は、人を生き難くする状況に置かれています。家族、隣人との関係が薄くなり弱くなっています。自死する人が増えています。人々は孤独であり、生きるために励まし、慰め、支えを必要としています。
わたしたちは幸い信仰の恵みをいただきました。兄弟姉妹のつながりを大切にし、神からいただいた命をお互いに大切にしながら、さらに多くの人々への奉仕にこの命をささげたいと思います。この地上の命が終わってもわたしたちは復活の栄光にうつしていただけるのです。この信仰を深くし、多くの人々、生きる意味と希望が見えない人々へ伝えたい。そのために力と光を主キリストからいただけますよう、祈りましょう。