教区の歴史
復活節第二主日(神のいつくしみの主日)ミサ説教
2010年04月11日
2010年4月11日 高輪教会にて
きょうのヨハネの福音をご一緒に味わいましょう。
「週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。」
週の初めの日とは今の日曜日、イエスが復活した日です。イエスの十字架上の死という出来事に出会って弟子たちは混乱と恐怖に陥り、家に引きこもっていました。肩を寄せ合って震えていたのかもしれません。先生を裏切った罪の意識、うしろめたさもあったことでしょう。
そこにイエスが入ってこられ「あなたがたに平和があるように」と二度も重ねて言われました。復活したイエスは時間と空間の制限のない存在になっています。「平和があるように」といわれて弟子たちは喜びました。イエスが生きていることを喜び、また自分たちの罪が赦されたことを喜んだのです。イエスは言われました。「父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」
このときにわたしたちの教会が誕生しました。教会の誕生にはこの弟子たちの平和と喜びがありました。弟子たちはこの平和と喜びを伝えました。教会はこの平和と喜びを生きる民です。弟子たちの後継者たちは世界中に赴いて、この平和と喜びを伝えました。日本にも聖フランシスコ・ザビエルが来て福音を伝え、多くの人がキリストの弟子になり、殉教者も生まれました。いのちをささげて信仰を証した人々が殉教者です。この高輪教会ゆかりのヨハネ・原 主水(もんど)も、立派な信仰の証しをたてた立派な信者でした。
ヨハネは言っています。「福音書を書いたのは、人々がイエスをメシアであると信じ、信じて永遠のいのちを得るためである。」
復活の日から8日目にもイエスは弟子たちのところに現れました。初めて使徒トマスは「わたしの主、わたしの神よ」と言って信じました。イエスは言われました。「わたしを見たから信じたのか。見ないで信じる人は、幸いである」
わたしたちは復活したイエスを直接見たことはありません、しかし信じています。それは復活したイエスに出会った弟子たちの証言を信じたからです。証言を信じた人がイエスを信じ、その信じた人に出会った人がさらに信じたのです。
今日二人のお子さんが幼児洗礼を受けます。お二人はまだ信仰宣言することが出来ません。成長したら信仰を告白できるように育てることがご両親、代父母、そして教会共同体の責任です。お二人が将来イエスへの信仰に恵まれ、立派に信仰を生きることが出来ますよう、祈りましょう。