教区の歴史
ペトロ白柳誠一枢機卿葬儀ミサ説教
2010年01月05日
2010年1月5日 東京カテドラル聖マリア大聖堂にて
ペトロ 白柳誠一枢機卿様は81年の地上の生涯を終わり、2009年12月30日、父なる神のみもとへ旅立たれました。
Caritas Christi Urget Nos「キリストの愛がわたしたちを駆り立てる」
この聖パウロの言葉が枢機卿としてのモットーでありました。枢機卿様はこのことばのように、キリストの愛に促され動かされ駆り立てられて、81年の生涯を神におささげになりました。
その生涯の実に43年間は司教、枢機卿として神と人のための奉仕に捧げられました。長い年月に及ぶ、司教、大司教、日本カトリック司教協議会会長、枢機卿としての任務は非常に重いものでありました。そのために枢機卿様は大きな忍耐を忍ばれたことと存じます。
1970年から30年にわたり東京大司教の任務を遂行され、第2ヴァチカン公会議の刷新を東京教区において実行する、という重要な課題への取り組みを推進されました。
司教職にあって、お会いになった一人ひとりの人に、実に細やかな心遣いを示され、その行き届いた配慮と親切には誰も驚嘆せざるを得ませんでした。
枢機卿様はまた日本カトリック司教協議会会長を9年にわたり務められました。1986年、東京で開催された アジア司教協議会連盟(FABC)第4回総会に際しては、この東京カテドラル聖マリア大聖堂でのミサの説教の中で、アジア・太平洋地域の人々に対し、日本ならびに日本のカトリック教会の戦争責任を告白し、アジアの兄弟たちに赦しを求められました。それは謙遜にして勇敢な行為でありました。
主イエスは言われました。
「平和を実現する人々は幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる。」
枢機卿様の生涯の生涯を貫き、その中心となった最も大切な働きは、おそらく、平和を実現するための働きでした。枢機卿様は宗教の違いを超えてすべての人が平和のために働かなければならないといつもお話になり、「世界宗教者平和会議日本委員会」(WCRP)の平和運動に参加され、9年間にわたり、理事長の職を務められました。
また日本の殉教者の崇敬に熱心であられ、殉教者の列福運動推進に大きな役割を果たされました。枢機卿様の熱意は昨年11月24日、ペトロ岐部と187殉教者の列福式として立派な実を結びました。枢機卿は列福式の主司式と説教を担当されました。その説教は平明でわかりやすく感動的でありました。説教は次の言葉で結ばれています。
「さあ、皆さん、恐れずにわたしたちも、一緒になって進みましょう、恐れるな、恐れるな、と神様がそして殉教者が叫んでいます。
殉教者の母、わたしたちの母、そして教会の母である聖母マリアが、わたしたちのこの切なる願いを、いつくしむ深く、神様に取り次いでくださるようにと、願いながら、このお話しを終わりにいたします。皆さん、恐れずに進みましょう。」
枢機卿様のこの声は今でもわたしたちの心に響いています。
ご生涯の最後の5ヶ月の闘病生活は枢機卿様にとって大きな試練であり十字架の道であったと思います。枢機卿様はこの人生最後の苦しみを通してキリストの死と復活の神秘を体験され、2009年12月30日、地上の一切の努めと苦しみから解放されて、天の父のもとへ帰られました。
いまわたしたちは、慈しみ深い天の父が枢機卿様の生涯のお働きに豊かに報いてくださいますよう祈ります。
そしてわたしたちは枢機卿様の遺志を大切にしながら、日本における福音宣教のために、日本社会の福音化のために力を合わせて前進していきたいと存じます。