教区の歴史

教区の歴史

東京韓人教会信徒館祝別記念ミサ説教

2009年02月22日

2009年2月22日 東京カテドラル聖マリア大聖堂で

 

東京韓人教会の神父様、シスター、信徒の皆さん

カトリックセンターの改修工事が無事に終了し、皆さんの新しい信徒館が落成しました。心からお祝い申し上げます。わたしたち教区本部、関口教会、東京韓人教会の三者は同じカテドラル構内においてそれぞれ、互いの立場と役割を尊重しながら、共に教会の使命の実践に努めています。このたび、わたしたちがよく話し合いながら新しい計画を立案し実行することができました。これは私が深く喜びとすることであります。関係の皆さんに心から御礼申し上げます。 

さて、皆さんご存知のように、わたしたちの偉大な指導者、ステファノ 金 寿煥(キム・スファン)枢機卿がお亡くなりになりました。私は日本の司教団の代表として一昨日20日、葬儀に参列いたしました。多くの方が死を悼み一目でもお別れしたいと明洞(ミョンドン)大聖堂の枢機卿の棺を訪問しました。それは当然予想されることでした。しかし、その数は韓国の司教たちが考えていた人数をはるかに超えるもので、およそ40万人とのことです。これは神の声を現す大きなしるし、現象、人々の声のうねりのようなものだと思います。

葬儀の中で、韓国司教協議会議長 姜 禹一(カン・ウィル)司教様が弔辞を述べられました。その内容の要約を姜 禹一司教様と李司教様から日本語でお聞きすることができました。私も自分なりに考えてみました。

韓国の司教ですら驚いているこの現象、40万人もの弔問者の列は何を意味しているのでしょうか?韓国の人々も厳しい経済不況下に置かれており、政治情勢も厳しいと言われています。不安が多くの人の心を覆っています。そのようなときに金枢機卿が亡くなられました。人々は枢機卿の生涯を思い出します。枢機卿は宗教の違いを超えて、すべての人から敬愛されました。常に弱い人、貧しい人、病気の人、障害をもった人と共に歩み、彼らの側に立って発言し行動し戦いました。勇敢に、独裁政権を批判し、不正と戦い、人権を擁護し、民主化のために大きな役割を果たしました。民主化闘争のために明洞大聖堂に立てこもったデモ隊をかばったことはよく知られています。また臓器寄贈を呼びかけ、ご自身の眼球を提供されたとのことです。

枢機卿の死を知った人々はあらためて枢機卿から受けた慰め、励まし、優しさ、力強さを思い出しました。40万人の弔問はその共通の心の現れではないでしょうか。

ある人は次のように語ったそうです。

「 わたしたちの社会は貧富間、世代間、理念間の対立がひどい。こうした対立を統合し、治癒してくれる人物が金枢機卿だった」。また別な方は「景気が悪く、社会が暗うつなときに灯火のような役目をなさった方が逝ってしまった」と話しました。金枢機卿様の生涯の中にわたしたちは主イエスの生涯を見る思いです。 

今日は年間第7主日です。マルコによる福音は中風の人のいやしを語ります。屋根をはがして病人を吊り降ろした人々の信仰に感心したイエスは、中風の人に罪のゆるしを宣言し、さらに体をいやします。救いとは罪からの解放であり、病気を含むあらゆる悪からの解放です。

預言者イザヤは人々の悪と罪を背負う主なる神の声を伝えます。イスラエルは主に背き、主を苦しめ重荷を負わせます。しかし、主な神は「わたし自身のためにあなたの背きの罪をぬぐい、あなたの罪を思い出さないことにする」 (イザ43・25) と言われます。

預言者イザヤを通して示された神の救いの計画はイエス・キリストにおいて成就しました。イエスはいやす人であり贖う人であり救い主です。

「人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。神はこのキリストを立て、その血によって信じる者のために罪を償う供え物となさいました。それは、今まで人が犯した罪を見逃して、神の義をお示しになるためです。このように神は忍耐してこられたが、今この時に義を示されたのは、御自分が正しい方であることを明らかにし、イエスを信じる者を義となさるためです。」(ロマ3・23-26) 

神の真実はイエス・キリストの十字架において明確に「然り」となりました。

どんな状況にあっても、不正、混乱、対立、紛争、差別などがあったとしても、神の「然り」である主イエスを光として仰ぎながら、主イエスの灯火を現代の社会に灯しつづけましょう。

わたしは東京教区の使命を思うときに自分の無力と弱さを感じます。そして東京韓人教会の力強さと輝きを思い、皆さんに期待します。皆さんは荒れ野における泉・オアシスであろうとする東京教区の大きな力であり希望です。どうかこれからも皆さんの祈りとご支援をお願いいたします。