教区の歴史

教区の歴史

聖家族の祝日・堅信式説教

2008年12月28日

2008年12月28日 成田教会で

 

今日は今年最後の日曜日、聖家族の祝日です。

11月24日、長崎で列福式が行われ、188人の殉教者が列福しました。188人の中に家族で一緒に殉教した方々がいます。京都の武士ヨハネ橋本太兵衛とその家族、熊本の武士小笠原玄也とその家族、米沢の殉教者ルイス甘糟右衛門とその家族などです。特に注目したいのは小笠原玄也とその妻みやの家族15人の殉教です。夫玄也、妻みや、子ども9人、奉公人4人が、1636年1月30日、一緒に殉教しました。

400年ほど前の時代、日本はキリシタンの迫害の時代でした。一家は郊外の貧しい百姓の家で息を潜めて貧しい生活を送り、9人の子どもを生み育てていました。4人の奉公人も一緒であり、そこには15人の「家の教会」がありました。夫の玄也は「不転書物」(ころばざるかきもの)を主君細川忠興に提出しています。16通の遺書が残されております。みやは遺書の中で殉教を「今か今かと待っている」と述べ、「捨てがたき宗旨故かやうになり参らせ候」と述べています。彼女は永遠の命を深く信じ、子どもの幸せは永年の命にあると信じていました。 

日本の司教団は1993年に第二回福音宣教推進宣告会議を開催し、その主題として「家庭」を選びました。このテーマの選定には賛否両論あり、またこの全国会議が成功したかどうかについても議論があります。しかし、私は今でもこの課題の選定は正しかったと思っております。もう15年経ちましたが、すでに日本の家庭には危機的状況が始まっておりました。現在、日本の家庭はますます困難な状況に置かれております。家族は互いに心を開いて苦しみ喜びを共にし、助け合い支え合うべきですが、現実にはなかなかそうはいきません。心が通じなかったり、忙しくて会話がなかったり、家庭内暴力があったり、家族の存在が支えというより悩みや苦しみの原因になっている場合も少なくはありません。 

司教団は「家庭と宣教―家庭を支え福音を生きる教会共同体の実現をめざして」というメッセージを出して、危機的状況にある家庭を教会が支え導かなければならないことを強調しました。そのために「分かち合い」ということを提唱しています。「分かち合い」ということには一般的に抵抗があり、アレルギー反応もありましたが、少しずつ「分かち合い」が受け入れられ普及しているように思われます。特に少人数で聖書を分かち合いことが、お互い大きな支えになると思います。また共に祈ることが何よりの支えであり励ましであります。 

今日は聖家族の祝日です。イエス、マリア、ヨセフの家庭はどのような家庭だったのでしょうか?イエスは両親のもと、ナザレで「たくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれていた」と今日の福音が告げています。マリアとヨセフはイエスを養い育てました。その際二人を導いた光は信仰という光でした。イエスが生まれるために、マリアとヨセフの信仰が必要でした。人間イエスの成長にもマリアとヨセフの信仰が必要でした。

老シメオンの言葉をマリアとヨセフはどう聞いたのでしょうか?母マリアは後に十字架の下で「あなた自身も剣で心を刺し貫かれます」という言葉の意味をしみじみ体験したことでしょう。 

今日の第一朗読、第二朗読では共にアブラハムの信仰が述べられています。アブラハムは信仰の模範とされています。アブラハムの信仰によりイサクが生まれ、イスラエルの民が生まれました。教会は新しいイスラエルの民です。そして教会は神を信じる神の民です。

教会は現代の荒野を旅しています。わたしたち日本の教会はいわば離散の教会であり、家族も必ずしも全員が共通の信仰で結ばれているわけではありません。家族全員が殉教した小笠原家のようにはいかないのです。だからこそ、教会という交わりとつながりが大切です。複雑で苦労の多い人間関係を支え導く信仰、その信仰を養い育て支えるために教会があります。東京教区は荒野を歩む人々のために神の愛と光を現し、癒しと励ましを伝えるネットワークとしての役割を果たしていきたいと願っています。

今日堅信を受けられる皆さん、この教会の使命を深く心に刻んでください。神の愛の証人となることができますよう、殉教者の取次ぎによって祈りましょう。