教区の歴史

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クリスマスと新年のメッセージ

2008年12月25日

主のご降誕のお祝いを申し上げるとともに、 新しい年2009年の上に主の豊かな祝福がありますよう祈ります。

2008年はまことに恵み深い年でありました。 11月24日、 長崎においてペトロ岐部と187人の殉教者の列福式が行なわれました。

慈しみ深い神がわたしたちに聖霊を豊かに注ぎ、 わたしたちを照らし導き、 わたしたち一人ひとりが、 殉教者に倣い、 主キリストの道を歩み、 日本の福音化のため誠を尽くすことができますように、 殉教者の取り次ぎによって祈りましょう。

この度列福された188人の殉教者は、 今とはまったく状況の違う江戸時代のはじめ、 今から400年前の人々でした。 状況が違うからこそかえってわたしたちはいま、 自分自身の生き方を殉教者の生き方と引き比べながら、 自分自身の人生の在り方を問い、 反省し刷新することができるのではないか、 と思います。

188人の生涯を知って感じるのは、 188人の強い存在感、 その存在の輪郭の鮮やかさ、 確かさということです。 例えば江戸の殉教者ヨハネ原主水ですが、 その最後の証言と輪郭は強い印象を現在のわたしたちに残しています。 殉教者たちの圧倒的な存在感はその深い信仰から生じるものでした。

現在、 多くの人々が、 自分の存在の意味を求めて悩んでいます。 子どもたちも含めた多くの人々が自分自身の存在を肯定できない、 という思いに捉えられている、 と言われています。 400年後の同じ日本の教会であるわたしたちが、 さらに力強くはっきりと、 信仰の証しを立てることにより、 現在の人々に、 励ましと希望を与えることができると思います。

また、 殉教者の話を聞いて感嘆するのは信徒の間の固い結び、 家族の間の強いつながりということです。 家族の堅固な絆の中心には母であり妻である女性の存在がありました。 当時の教会の中にも問題がなかったわけではありませんでした。 しかし、 互いに尊敬し合い、 助け合い、 支え合って信仰を生きていた様子がはっきりと伝わってきます。 この点を現在の教会は特に学ばなければならないと思います。

現代の人はいわば荒れ野に置かれていて、 孤独と孤立に苦しんでいます。 教会は砂漠のオアシスにならなければなりません。 わたしたちの間に、 暖かい、 信頼に満ちた堅い結びがあるならば、 多くの人々がそこに、 憩い、 救いを見出してくれることでしょう。  

あらためて東京教区の皆様に祈りを願いながら、 2008年クリスマスと2009年を迎えるにあたり。

 


 

 

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