教区の歴史

教区の歴史

東京カテドラル聖マリア大聖堂献堂記念ミサ説教

2008年12月08日

2008年12月8日 無原罪の聖マリアの祭日

 

東京カテドラル聖マリア大聖堂は1964年12月8日、無原罪の聖母の日に献堂されました。昨年、わたしたちはカテドラル外装の改修工事を無事終了するという恵みをいただきました。本年よりはカテドラル構内再構築という課題に取り組んでおります。再来年の秋に完成の予定です。皆様のお祈り、ご支援、ご協力を切にお願いいたします。

カテドラルは東京教区の中心であり、カテドラルと構内のあり方は教区のあり方を指し示すのです。わたしたちは「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように」と言われた聖母にならい、信仰の従順のうちに、神の愛を人々の前に証しできますよう、共に祈りたいと思います。 

2008年も残すところわずかとなりました。日本のカトリック教会にとってこの年は大きな恵みの年でありました。ペトロ岐部と187殉教者の列福式が長崎で行なわれました。多くの方が列福式に参加し、大きな感動と喜びをいただきました。当日は天候が悪く、実際、式の始まる前にはかなり激しい雨が降りました。でも式が始まる頃より雨も小降りとなり、やがて青空ものぞき、陽が射してきました。鳥の声も聞かれたとのことです。

白柳誠一枢機卿様がミサの主司式と説教をなさいました。キリスト教や殉教を全く知らない人が聞いてもわかるような、平明でよく整った話をしてくださり、一同感動いたしました。殉教の意味、日本の教会の歴史、188人の殉教者の紹介、そして「これらの殉教者は現在のわたしたちに何を伝えたいのか、彼らの列福にはどんなメッセージがあるのか」ということを話されました。 

白柳枢機卿様は聖パウロのローマの教会への手紙を引用しながら、殉教者が神の愛を力強く証ししたこと、400年前の家族の間の固い結び、そして信徒の間の絆、また近辺の人々との交わりについて話されました。

そして殉教者は、年間3万人以上の自殺者のいる日本の社会に、人生の意味について、苦しみの意味について、呼びかけていると述べられました。

「すべての人が大切にされ、尊敬され、人間らしく生きられる世界となるよう祈り、活動することを求めているに違いありません」とも言われました。 

寒い中、4時間にもわたる式でしたが、参加者一同大きな感動を味わいました。わたしは最初、安堵の気持ちというか、ほっとしたという気持ちでしたが、色々な方からの式参加の感想を聞き、後からしみじみ、本当によかったな、と実感してきています。式の最後の白柳枢機卿様の言葉「皆さん寒い中、よく頑張りましたね。」に会場の人々が大きなことを成し遂げたという達成感を味わうことができたという感想を聞きました。 

昨日の待降節第2主日、私は大田区にあるカトリックの施設「自立の家」の竣工祝別式を司式しました。

感謝状の中に繰りかえし、「児童養護施設の子供寮を卒寮した子どもたちが、次に住む家、また実家のように帰ってこられる家を用意することは、わたしたちの長年の願いでした。」とのシスターたちの言葉がありました。養護施設を出た人たちが引き続き住める家、あるいは帰ってこられる家として建てられた、木の香りの漂う、温かい、安らぎと憩いの家です。木材は多摩川の源流にある山梨県の村から運ばれました。村の人々や建築にたずさわった業者、関係者も多数参加し、宗教を越えて命を大切にする人々の温かい思いを分かち合ったよい集いでありました。 

私は11月24日の列福式の感動と重ねながら、わたしたちの教会のあり方に対する励ましとさりげない示唆を与えてくれたような気がしています。

「わたしたちの教会がすべての人に開かれた共同体、とくに弱い立場におかれている人々、圧迫されている貧しい人々にとって、やすらぎ、なぐさめ、はげまし、力、希望、救いとなる共同体として成長するよう、力を尽くします。」

これは私の大司教着座式のときの言葉です。

原罪による傷と弱さを日々身に負う自分でありますが、聖母に祈り、殉教者の取次ぎを願いながら、皆様とこの務めを果たしてまいりたいと存じます。