教区の歴史
ラテラン教会の献堂・ミサ説教
2008年11月09日
2008年11月9日 茂原教会で
今日の福音でイエスは、
「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる」と言っています。この神殿とはヘロデ大王が46年もかけて改修し、増築した、立派で壮大な神殿でした。弟子たちはイエスの復活の後になって、この言葉の意味を理解しました。イエスの言われた神殿とはご自分の体、キリストの体のことだったのです。
わたしたち教会はキリストの体と言われます。わたしたちは神の霊を受け、キリストの体とされたのです。わたしたちが神の神殿なのです。
パウロは今日のコリントの教会への手紙で、
「あなたがたは神の建物です」「あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか」と言っています。キリスト者は神の霊を受け、神のお住いになる神の神殿となったのです。ですから、わたしたちは自分の体で神の栄光を現さなければなりません。
「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい」(ローマ12・1)とパウロが教えるように、わたしたちは自分の体を神様にお献げし、日々の生活のなかで、生涯をとおして、神に栄光を帰さなければならないのです。
11月24日、長崎でペトロ岐部と187殉教者の列福式が行なわれます。殉教者は自分の体を聖なるいけにえとして神に献げた方々です。
先日11月3日、旧千葉地区の信者は習志野教会で、今度列福されるヨハネ原主水の生涯と信仰に学ぶ集まりを行ないました。
原主水の最後の様子を伝える記述があります。
「ヨハネ原主水は、間もなく、息を引き取った。彼は長々あこがれていた天国にきっと導いてくれる焔を抱きたいように、指を切られた腕を伸ばした。彼は、地面にうつむけに倒れた。」(レオン・パジェス『日本切支丹宗門史』岩波文庫、中巻295ページ)。
私はこの原主水の腕を廻して焔を抱き寄せようとした動作は、どんな意味があるのだろうか、彼は何を伝えようとしたのだろうか、と考えてみました。この動作の直前に群衆に向かって原主水は次のようなことを言っています。
「イエス・キリストは私の贖い主であり救い主である。わたしはイエス・キリストのためにいのちを捨てる」(レオン・パジェス『日本切支丹宗門史』岩波文庫、中巻より)
この宣言(後でお話しますが)から考えて、私は、彼は焼き滅ぼされる自分の体を神に献げて、「自分の体で神の栄光を現しなさい」(コリント一 6・20)というパウロの言葉を実行したのだろうと考えます。
神殿とは神の住まいです。イスラエルの王ソロモンは紀元前950年、非常に壮麗な神殿を完成させました。しかし、この神殿は紀元前586年、バビロニアによってユダ王国が滅ぼされたときに破壊されてしまいます。イスラエルの民はバビロンに連行されました。これが有名なバビロン捕囚です。やがてペルシャ王キュロスによって解放された捕囚の民はユダのエルサレムに帰還し神殿の再建に着手し、紀元前515年に完成させました。この神殿は第二神殿と呼ばれています。この神殿をヘロデが増築しました。それがイエスに時代の神殿です。
パウロは、「あなたがたは、神の神殿である」とわたしたちに語りかけます。400年前、日本の殉教者は殉教によってこの言葉を実現しました。現代のわたしたちはどのようにしてこのパウロの言葉を証しし、神の神殿を建設し発展させることができるでしょうか。わたしたちの大きな課題です。
ペトロ岐部と187殉教者の取次ぎを願いながら、わたしたちが自分の体によって、神の神殿を現し伝えることができますよう祈りましょう。