教区の歴史
千葉中央宣教協力体合同堅信式説教
2008年10月19日
2008年10月19日 年間第29主日 西千葉教会にて
今日の第一朗読はイザヤ書45章です。ここで繰り返し述べられていることがあります。
「わたしが主、ほかにはいない。」
すなわち、
「わたしが主、ほかにはいない。わたしをおいて神はない。
わたしはあなたに力を与えたが、あなたは知らなかった。
日の昇るところから日の沈むところまで、人々は知るようになる
わたしのほかは、むなしいものだ、と。
わたしが主、ほかにはいない。」
と繰り返し主張されているのです。
イスラエルの歴史はこの信仰の歴史です。イスラエルは何度も他の神を神とし、バアルを礼拝したりして神を怒らせます。
主なる神だけを礼拝するということは、他のもの、他の価値、他の存在を神として礼拝しないということです。
信仰を捨てるよう強要されたペトロ岐部と187殉教者は、「ほかのことならともかく、それだけは捨てることはできない、命にかけても」と言って信仰を守り、宣言した人たちです。
今日のイザヤの預言で繰り返し強調されている「わたしが主、ほかにはいない。わたしをおいて神はない」という、この信仰を守った人々がペトロ岐部と187殉教者なのです。
「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に」はよく引用されるイエスのことばです。政教分離をめぐる議論のときに使われます。この箇所は、政治と宗教は別な次元に属するから、政治問題を宗教に持ち込んではならないという主張の根拠にされます。地上の権力者への服従の根拠とされるのです。
先ほど講話でもお話した殉教者のことですが、彼らは信仰を捨てるようにという時の権力者に従わなかったので処刑されたのです。信仰の自由は基本的人権であり、皇帝の問題ではありません。信仰の問題はまさに神の問題、領域なのです。それなのに400年前の為政者は信仰を理由にキリシタンを処刑しました。信仰は皇帝のものでないのに皇帝のものにしたのです。
デナリオン銀貨には皇帝の肖像と銘が刻まれていました。ですから皇帝のものは皇帝に返しなさいとイエスは言われました。
神は地上に権威者を立て、人が権威者に従うよう定められました。権威者は神によって立てられたのですから、神の御心によって民を治めなければなりません。弱い人、貧しい人を守り保護しなければならないのです。正しく治める限り人は権威者に従わなければなりません。もしそうしないのなら人は服従する義務はないのです。
それでは人には何が刻まれているのでしょうか?人は神の似姿として創造されています。誰にでも神の像が刻まれているのです。ですから神のものであり、神のものは神へ返さなければなりません。殉教者は神のものを皇帝に返すことに反対して殉教者となりました。殉教とは神のものを神のものとすることだと思います。
今わたしたちは、命にかえても守るものを持っているでしょうか?知っているでしょうか?
神の愛を知り、信じた人はもはや神を否定することはできません。それは自分自身を否定することになります。
数々の困難の中で不屈の勇気をもって司祭職を全うし殉教したペトロ岐部神父。障がい者となり病者と共に生きて、神の贖いの愛を信じ、処刑に際して信仰を告白して神の愛の証人となったヨハネ原主水。この二人の東京教区の殉教者に学びながら、「神のものは神に」とは現代のこの状況において何を意味するのでしょうか?
現代はある意味で非人間化の時代ではないでしょうか?
わたしは、神が一人ひとりを掛け替えのない存在としてくださるという神の愛への信仰を生きること、その信仰を強くしていただくことだと思います。
わたしたちがその証しをたてることができるように、殉教者の取次ぎによって祈りましょう。